百僧供養碑

HI158

ひゃくそうくようのひ
石碑(0029073)石碑周辺(0029074)

 この碑は元彦根藩士・頒暦会社社長林立守が明治14(1881)年に蓮華王院(三十三間堂)で,百僧供養を修したことを記念して建てられた。百僧供養は百人の僧侶による大規模な法会で,規模の大きなものとしては千僧供養や万僧供養がある。碑文によれば,豊臣秀吉・秀頼の千僧供養(方広寺大仏殿開眼供養か)以来廃絶していたこの種の法会を,林立守が復活したことを記念するものだという。
 なお頒暦会社は冊子形式の略本暦を製作・販売する企業であるが,明治15年に略本暦の製作が伊勢神宮に移管されてからは,その傘下で販売を担当する林組に改組された。碑文によれば,建碑にはこの改組を記念する意味もふくまれているようである。

所在地東山区三十三間堂廻り(三十三間堂内)
位置座標北緯34度59分17.2秒/東経135度46分16.2秒(世界測地系)
建立年1883年
建立者林立守
寸 法高185×幅175×奥行10cm
碑 文
[東]
百僧供養之碑【篆額】
明治十四年十二月十七日頒暦社長林立守設百
僧供養于蓮華王院者所以祈国家之安全并修祖
先之菩提也蓋豊臣氏修千僧供養以来此事久廃
而今林氏能継其芳躅可謂盛矣然而豊臣氏以天
下之富而為此挙林氏以一人而為之其為功徳加
何林氏為人温而慈夙観浮世泡沫切厭昨夢妄縁
委有為家業于其子一心専念崇敬神仏無所不至
也経云慈眼視衆生福聚海無量矣林氏之崇敬神
仏也可以知其業益繁栄與国家永無彊矣翌年四
月以頒暦属于伊勢      太廟使林氏任製暦之事
也請余記其所為供養之縁由因書此表其美志云
   妙法院現董兼善光寺大勧進権大教正寂順撰
                           廬山逸民遠山慧書兼篆額
[西]
         百僧を招せしをりに
世にありてよになきものとけふよりは
ちりの外なるゆめそみまほし      立守
翌しらてきのふのゆめとけふひと日
      維時明治十六年十二月十七日
                                    林立守建之
碑文の大意ここをクリック
調 査2012年4月27日
備 考林立守著『歌詩句集』(1885年同人刊)の桜戸玉緒跋に「此大人の産土は近つあふみなる彦根の大城にして其殿に仕へられし頃は太刀ふるわざにもなみならざりしが陰陽道の一白斎といふ其名高ければ維新のはじめ土御門晴雄卿の撰挙によりて暦事に苦辛して局をひらきそのゝち転任して大学にいで南校にいたり文部より太政官に出でまた地方官に転じ其后東京大阪頒暦商社をひらきて長となれり」と略歴を記す

位置図
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