淀川渡船所

GA013

よどがわとせんしょ
石碑(0028256)石碑周辺(0028257)

 明治末年の淀川改良工事により,明治36(1903)年に宇治川の流路は淀城の北を通り桂川に合する経路から,現在の経路に変更された。このことで巨椋池の漁村であった一口(いもあらい)と淀が宇治川によって隔てられた。そのため淀から西一口へ渡し船が運航された。この渡し船は淀大橋を経由して淀と結ぶバス路線が開設されることにより,昭和30年に撤廃された(『久御山町の今昔』1981年久御山町郷土史会刊)。この碑は西一口側のかつての渡し場を示すものである。

所在地京都府久世郡久御山町西一口
位置座標北緯34度54分10.0秒/東経135度43分56.0秒(世界測地系)
建立年1928年
建立者三宅安兵衛遺志
寸 法高120×幅36×奥行24cm
碑 文
[東南]
淀川渡船所   淀京阪電車【以下埋没】
[西南]
南御牧村役場八【以下埋没】
[東北]
是東一口村安養寺【以下埋没カ】
[西北]
昭和三年春京都三宅安兵衛依遺志【以下埋没】
調 査2010年3月29日
備 考 本碑およびHU118(一口村安養寺/淀川渡場径【道標】)HU161(淀川渡船場道【道標】)GA014(安養寺)の4基は京阪淀駅から現久御山町一口(いもあらい)安養寺へ参詣者を導くための一連の碑

位置図
位置図

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