甲子烈士無名氏墓

GA009

かっしれっしむめいしのはか
石碑(0027837)石碑周辺

 元治元(1864)年7月の蛤御門の変で,敗走する長州藩士のひとりが大山崎町の離宮八幡宮附近で自決した。安養院の寺伝によれば長州藩の小荷駄方,つまり輜重兵だったという。遺骸は住民の手により安養院に葬られた。地元の言い伝えでは天王山で自決した槙木和泉守から命じられ,長州へ情況報告のため戻る途中で包囲されたという。その後,明治30年にこの地を訪れた青萍という人物が,墓の湮滅を恐れ目印としてこの碑を建てた。この碑は大山崎で死んだ長州藩兵を弔うものである。

所在地京都府乙訓郡大山崎町大山崎白味才(安養院内)
位置座標北緯34度53分54.0秒/東経135度41分03.2秒(世界測地系)
建立年1897年
建立者青萍迂人(末松謙澄カ)
寸 法高81×幅21×奥行21cm
碑 文
[東]
甲子烈士無名氏墓
[南]
元治甲子之変有一長士退抵山崎
具輜重委棄擔首長人慷慨不能
自禁徐啖西瓜一臠屠腹其場而死
村民憫之収*安養寺竹林中而不
[西]
知其姓名今茲余偶遊山崎父老
為余談之頗詳乃往観之墓既殆
堙滅僅存一小苔石怕不辨其為何物余
為之悵然者良久遂命工建此小碑以
[北]
便後弔者時明治丁酉八月十
日也         青萍迂人識
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調 査2008年1月28日
備 考


碑文中「*」字


位置図
位置図

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