西川耕蔵招魂碑GA008 |
にしかわこうぞうしょうこんひ |
西川耕蔵(1823〜65)は,三条通の本屋に生まれたが学問を好み,梅田雲浜(1815〜59)に学び勤王家となった。元治元(1864)年6月5日池田屋の密議に加わっていたが,新選組の急襲を逃れ,聖護院の寓居に隠れていたところ捕えられ,慶応元(1865)年斬罪となった。この碑は西川耕蔵の霊を祀るために建てられた。碑を建てた西川太治郎は西川耕蔵の一族で,近江新報社長。のちに大津市長(在任明治41〜43年)となる。 |
所在地 | 滋賀県大津市園城寺町(三井寺内) |
位置座標 | 北緯35度00分35.0秒/東経135度51分16.6秒(世界測地系) |
建立年 | 1905年 |
建立者 | 西川太治郎 |
寸 法 | 高120×幅48cm |
碑 文 | |
[東南] | |
贈従五位故西川耕蔵君招魂碑 | |
[西北] | |
君諱正義通称耕蔵西川氏近江人来寓京都従学梅田雲浜業成授徒 | |
君為人直実好義屹有君子之風元治元年六月会有志諸士於三条旅 | |
宿池田屋密議国事其夜為幕吏所襲遂死於獄享年四十有三葬於洛 | |
東霊山明治卅六年十一月 勅贈従五位又賜靖国神社合祀蓋特 | |
典也宗族西川太治郎哀君非命而感 天恩之厚手編輯其履歴名 | |
殉難録刊行於世焉頃日又建招魂碑于近江長等山以祭之嗚乎西 | |
川氏之族好義之深至此豈可不感哉 | |
明治卅八年六月 鉄斎富岡百錬撰 | |
天は父地は母なるそか中に | |
立身にしあれはつとめさらめ哉 西川正義 | |
石工 北条徳太郎鐫 | |
碑文の大意 | ここをクリック |
調 査 | 2007年4月28日 |
備 考 |
位置図 | |