西川耕蔵招魂碑 碑文の大意
 西川耕蔵氏は,名は正義,通称を耕蔵という。近江人で京都に出て梅田雲浜の門に学んだ。学習を終え,門人をとり教えることを始めた。西川氏の人物は正直で正しいことを好み,毅然として君子とよばれるにふさわしい人であった。
 元治元年6月,勤王の志士と三条のはたご池田屋で密会した。その夜,幕府の役人に襲撃され,とうとう獄死してしまった。享年43。洛東の霊山に葬った。明治36年11月,勅をもって従五位を追贈され,靖国神社に合祀された。まことに特別な処遇である。一族の西川太治郎は,西川氏が志を果たさず死んだことをあわれに思い,それにもかかわらず天皇の恩の厚いことに感激し,自分の手で西川耕蔵の伝記を編集し『殉難録』と名づけて出版した。また先日,招魂碑を長等山に建てて耕蔵の霊を祀った。西川耕蔵氏の一族もまた正しいことを好み,碑を建て伝記を出版することまで実現した。ほんとうに感心する次第である。