左京・右京から上京・下京へ
京都には現在の行政区とは別に,上(かみ)・下(しも)という二つの地域的概念がありました。これは,平安京以来の都市構造の変化によって次第につくられたものです。
平安京は朱雀大路を中心に左京(さきょう,東京)と右京(うきょう,西京)の町が左右対称に作られました。しかし土地が湿って住居に不適当だった右京は早く衰退し,人家が左京に集中しました。そのうえ左京の市街地が南と北に分かれるように延びはじめ,その結果,北の方が上(かみ),南の方が下(しも)というように,左京の町を二分する地理概念が生まれました。
平安末期には新たに上辺(かみのわたり)と下辺(しものわたり)(『今昔物語集』)という言葉が生まれ,鎌倉時代の建治元(1275)年ころには「上下町中」の語が文献に見え始めました。南北朝時代には上京や下京という語も次第に使われ,15世紀初頭には上辺と上京,下辺と下京が併用されるようになりました。
天文年間(1532〜54)には,上京や下京に町の自衛や自治を目的に町々が団結し,町組ができたことが確認できます。
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