城南宮(じょうなんぐう) 伏見区中島鳥羽離宮町
祭神は息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと)・八千戈神(やちほこのかみ)・国常立尊(くにとこたちのみこと)。方除けの神として知られています。
創建は諸説あり,平安京遷都時に王城守護のため創祀されたとも,城南寺の鎮守神として創祀されたともいわれます。毎年9月20日に行われる祭礼は「鳥羽城南寺明神御霊会(ごりょうえ)」と呼ばれ,祈雨の祈願や競馬(くらべうま)が盛大に行われました。
応徳3(1086)年鳥羽離宮(鳥羽殿)が造営されると,その鎮守社となり,競馬や流鏑馬(やぶさめ)は離宮の年中行事として引き継がれ,毎年5月に催されました。
この行事に名を借りて,「流鏑馬汰へ」(やぶさめぞろえ)と称して近国の武士を城南寺に集め,承久3(1221)年,後鳥羽上皇が倒幕を謀ったこと(承久の乱<じょうきゅうのらん>)はよく知られています。
その後,城南宮は鳥羽離宮の衰退によって,上鳥羽・下鳥羽・竹田三か村の産土神(うぶすながみ)として崇敬されるようになりました。
明治10(1877)年,式内社真幡寸神社(まはたきじんじゃ)として認定され,社名を改めましたが,昭和27(1952)年再び城南宮と称しました。真幡寸神は平安京遷都以前からこの地に勢力を張っていた秦氏の氏神と考えられています。真幡寸神社は,現在城南宮境内に摂社として本殿東隣に祀られています。
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