大文字五山の送り火
文化史30

だいもんじござんのおくりび
印刷用PDFファイル
 
  【目次】
    知る

    歩く・見る
※画像をクリックすると大きい画像が表れます

   知る

どんな行事

 毎年8月16日の午後8時より約1時間,京都市内を囲む山の中腹に巨大な「大」(大文字山・左大文字山の2つ)「妙・法」の文字,船・鳥居の形が相前後して点火されます。これらは,総称して大文字五山の送り火と呼ばれています。

 京都では8月に入ると個々の家で精霊(先祖)迎えの行事が行われます。16日に行われる五山の送り火は,この精霊(しょうりょう)を再び冥土に送り帰すという意味をもっています。

 一般に盆行事は古来7月に行われていましたが,明治6年(1873)の太陽暦採用にともない,地方によって行われる月はまちまちとなりました。京都では「勝手に変えたらご先祖さんが困らはる」からと旧暦7月にほぼ相当する1カ月後の8月に行っています。

 また,送り火の消炭は疫病除け・魔除けになると伝えられており,盆やコップに注いだ水に送り火の灯りを映して飲めば,中風にかからないという言い伝えもあります。

 現在,点火の儀式や薪の管理などは,各山麓の町の人々が保存会を結成して維持しており,この五山の送り火は,それぞれが京都市無形民俗文化財に登録されています。

 なお,この京都の行事にならって,神奈川県箱根町強羅(ごうら)では「大文字焼祭り」が8月16日に行われており,高知県中村市間崎でも「大文字送り火」が行われています。

送り火のはじまり
大文字の送り火(『東山名勝図会』巻四)

 五山の送り火のはじまりについては,あまり明らかになってませんが,一説には,戦国時代に盛んに行われた万灯会(まんとうえ)が,次第に山腹に点火され,盂蘭盆会(うらぼんえ)の大規模な精霊送りの火となったのが起源といわれています。文献において,もっとも古いものは,舟橋秀賢(ふなはしふでかた)の日記『慶長日件録』(けいちょうにっけんろく)慶長8(1603)年7月16日の条に見られる「晩に及び冷泉亭に行く,山々灯を焼く,見物に東河原に出でおわんぬ」という記載です。具体的な名称があらわれる比較的早い例は,寛文2(1662)年に刊行された中川喜雲(きうん)の『案内者』(あんないしゃ)で,ここには「妙・法」「船形」「大文字」の記載が見られます。

 ちなみに五山以外では,江戸後期,「い」(市原野),「一」(鳴滝),「竹の先に鈴」(西山),「蛇」(北嵯峨),「長刀」(観空寺村)も点火されていましたが,今では廃絶しています。

送り火の点火方法
空海を祀った弘法大師堂と金尾
金尾の全景

大文字送り火  「大」の文字の筆者には空海,あるいは相国寺(現上京区)の僧横川景三(おうさんけいせん,1429〜93)の指導で足利義政家臣の芳賀掃部(はがかもん)が設計したなどの各説があり,『案内者』は近衛信尹(このえのぶただ,1565〜1614)説を主張しています。江戸初期では,杭を打って火床(ひどこ)をつくり,その杭に松明を結びつけていましたが,寛文・延宝(1661〜81)の頃より現行の積木法にかわりました。現在では,山の斜面に土盛りをし,大谷石(おおやいし)を設置,その上に薪を井桁に組んで積み重ね(約1.3メートル),その間に松葉を入れ,火床をつくっています。火床は75基,大の字の1画目の長さ80メートル,2画目160メートル,3画目120メートル,「大」の中心を金尾(かなわ)と称して,特別大きく割木を組んで点火します。

松ヶ崎妙法送り火  「妙・法」の字は,涌泉寺(ゆせんじ,松ヶ崎堀町)の寺伝によると,徳治2(1307)年松ヶ崎の村民が,日蓮(にちれん)の法孫である日像(にちぞう)に帰依し,法華宗に改宗,その時,日像が西山に「妙」の字を書き,下鴨大妙寺(だいみょうじ)の日良(にちりょう)が東山に「法」を書いたと伝えられています。江戸時代の中頃には,杭の上に松明を結んで点火したり,掘った穴に石を置いて火床がつくられていました。現在は,鉄製の受皿火床に割木を井桁状にして積み上げ点火されています。「妙」の火床は103基で縦横の最長は約100メートル,「法」の火床は63基で縦横の最長は約70メートルです。

船形万灯籠送り火  「船形」の舳先(へさき)は西方浄土を指していると言われ,精霊船の意もこめられていると伝えらえれています。かつては割木を大松明の形に束ねて燃やしていましたが,現在,火床は山の斜面に石組をし大谷石を設置,その上に薪を井桁に組むやり方に変わっています。火床は79基,横約200メートル,帆柱の高さ約90メートルです。

左大文字送り火  この山は,岩石が多くて火床が掘り難いところから,以前は篝火を燃やしていましたが,現在は山の斜面に栗石をコンクリートでかためた火床(30センチ〜3メートル)に松割木を井桁に約1メートル重ねます。火床53基,1画48メートル,2画68メートル,3画59メートルです。

鳥居形松明送り火  以前は,親火より松明に火を灯して,各火床である青竹に突き刺していましたが,現在では,鉄製受皿が各火床に設置され,その尖った芯に松明を突き刺して点火しています。火床108基,鳥居の笠貫が約70メートル,左右の脚は約80メートルです。

8月16日以外の送り火点火

 大文字五山の送り火は,明治時代にはいると,古都を代表する行事として注目され,慶祝行事などの一環で点火されることがありました。下はその一例です。

  • 明治23(1890)年4月8日

   琵琶湖疏水竣工祝賀夜会…大文字山点火

  • 明治24(1891)年5月9日

   ロシア皇太子入洛…全山点火

  • 明治28(1895)年5月15日

   日清戦争後,明治天皇の京都訪問…大文字山で「祝平和」の文字点火

  • 明治31(1898)年10月27日

   皇太子嘉仁親王(よしひとしんのう,大正天皇)京都滞在…大文字点火

  • 明治38(1905)年6月1日

   日露戦争祝勝…旧制三高生による大文字点火

  • 昭和10(1935)年4月3日

   室戸台風襲来(昭和9年9月21日)…倒れた樹木を弔うため大文字点火

  • 平成12(2000)年12月31日

   21世紀京都幕開け記念…全山点火

上へ


   歩く・見る

大文字山 左京区浄土寺七廻り町
大文字山の火床

 標高466メートル。「大文字送り火」は銀閣寺近辺の旧浄土寺村の人々が大文字保存会を組織し維持しています。

 保存会では,8月15日より銀閣寺山門の前で,一般市民から,先祖の供養や現存する人々の利益を願う護摩木(ごまぎ)を当日16日の午前中まで受け付け,集められた護摩木は,送り火の点火材料として山上にある火床へ上げられます。

 午後7時になると,金尾(かなわ)の部分にある弘法大師堂に灯明がともされ,大文字寺と呼ばれる麓の浄土院の住職と保存会員によって般若心経(はんにゃしんぎょう)が唱えられます。その後,午後8時になると,竹に麦わらを結びつけ,松葉を先につけた松明で灯明の火を金尾(かなわ)にある親火にうつし,合図によって一斉に点火されます。

 また,この旧浄土寺村では,江戸時代に送り火に合わせて念仏踊が行われていました。この送り火は,荒神橋(こうじんばし)から御薗橋(みそのばし)までの賀茂川(鴨川)河岸でよく見えます。

妙法山 左京区松ヶ崎西山・東山
松ヶ崎題目踊(『宝永花洛細見図』巻四)

 西山は標高133メートル,東山は標高187メートル。「松ヶ崎妙法送り火」は,松ヶ崎妙法保存会によって維持されており,地元で法華宗(日蓮宗)の信仰が非常に強いと言うことと密接な関係があります。前日の15日に薪が火床に上げられ,当日の16日午後8時10分に点火されます。この点火の際,「妙」の山では,松ヶ崎堀町にある涌泉寺(ゆうせんじ)の住職や松ヶ崎立正会会長らが読経し祖霊を送ります。

 また,涌泉寺では,送り火が消えた午後9時ごろから,境内で題目踊が催されます。この題目踊は,村民が法華宗に改宗した折に歓喜踊躍して太鼓を打ち,法華の題目を唱えたのに始まるといわれており,現在では,輪になった男女が音頭取りの太鼓の合図で「南無妙法蓮華経」(なむみょうほうれんげきょう)を繰り返しながら,団扇を上下に回転させ,体を屈伸しながら踊るもので,送り火前日の夜にも行われています。この送り火がよく見える場所は,北山通の地下鉄松ヶ崎駅付近です。

船山 北区西賀茂

 標高は317メートル。「船形万灯籠送り火」は,麓にある西方寺(浄土宗)と船形万灯籠保存会が中心に維持されています。

この「船形」は,西方寺開山の慈覚大師円仁が,承和6(839)年,唐からの帰路,暴風雨に遭い,南無阿弥陀仏と名号を唱えたところ無事おさまり帰郷できたという故事にちなむと伝えられています。

 「大文字送り火」同様に,8月5日から15日まで,西方寺で護摩木の受け付けを行っており,当日は午後8時15分点火され,その後,境内では六斎念仏が行われます。

 六斎念仏は,鉦(かね)や太鼓を打って囃し,念仏を唱えながら踊る民俗芸能です。西方寺の六斎念仏は,左京区にある干菜寺(ほしなでら)の六斎念仏の系統で,本来の踊り念仏の型を比較的保っているといわれています。六斎念仏は,お盆の行事として各所で行われています。この送り火は,北山通の北山大橋からよく見えます。

左大文字山 北区大北山

 標高は231メートル。「左大文字送り火」は,左大文字保存会によって行事が維持されており,送り火当日とその前日には,金閣寺境内に張られたテントで,護摩木の受け付けを行っています。

 当日の午前中に,北区衣笠街道町にある法音寺(ほうおんじ,浄土宗)の本堂の灯明の火によって,当寺にある親火台(鉄製で蓮華を模して作られた台)への点火が行われます。一方,若い会員を中心に薪や護摩木は山上に上げられ,暗くなる頃には,法音寺住職の読経があり,大松明に親火から火が移されます。午後7時にはこの大松明を中心に行列を作り火床を目指します。点火時間は午後8時15分で,大文字が一斉点火なのに対して,左は筆順通りに火を付けるのが特徴です。この送り火は,西大路通沿いの金閣寺付近でよく見えます。

曼荼羅山 右京区嵯峨鳥居本

 標高は約100メートル。この山は別に水尾山と呼ばれ,「鳥居形松明送り火」は,松明で燃やしているため,保存会の名も鳥居形松明保存会と称しています。

 昔は特に宗教的行事は伴わなかったのですが,現在では他の送り火と同様に,8月13日から16日まで,化野(あだしの)念仏寺の駐車場にて護摩木の受け付けを行っています。これら護摩木は,化野念仏寺において供養された後,山上へと運ばれ,送り火は午後8時20分に点火されます。

 この送り火は,他のものとは異なり,親火より火を移した松明を持って一斉に走り,各火床に突き立てます。そのため鳥居の柱に当たる火床は縦の走りとよばれ,ベテランの担当する部署であり,笠木と貫の部分は横の走りといい,若い人が担当します。この送り火がよく見える場所は,松尾橋や広沢池などです。


上へ