葵祭
文化史26

あおいまつり
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どんな祭?

平安時代の葵祭(賀茂祭)の様子。右上には行列を見物するための「桟敷」が見えます。「年中行事絵巻」
 葵祭は,賀茂神社の祭で,祇園祭・時代祭と並ぶ京都三大祭の一つです。その呼び名は,祭に葵(フタバアオイ)を多く用いたことに由来し,元禄年間(1688〜1704)の再興以後呼び始められました。正式には賀茂祭といわれ,上賀茂神社(上社)と下鴨神社(下社)で5月1カ月間に行われる祭礼の1日を指しています。

 『山城国風土記』によると,6世紀中葉の欽明天皇の時代に鴨の神の祟りで飢餓疫病が蔓延したため,賀茂県主(あがたぬし)一族を中心に,氏の内々の祭を行ったのが起源だと伝えられています。

 7世紀後半には現在地に社殿が造営され,周辺地域からも祭に参加するようになり,国司が監督を行う公的な祭へと移行しました。

 更に,長岡京・平安京遷都に伴って,朝廷から皇城鎮護の神と崇敬され,弘仁年間(810〜824)には斎院の設置や,祭礼の勅祭化が行われました。以降,『源氏物語』葵巻に見物の場所をめぐって牛車が争う様子が描かれるなど,その有様は,物語や貴族の日記に詳述されるようになりました。

 しかし,さまざまな理由で祭祀の経費が増大したために,文亀2(1502)年以降約200年もの間,勅使の派遣が中絶し,実質的に祭礼は断絶しました。


再興後の葵祭
江戸時代の葵祭(賀茂祭)の様子。『都名所図会』巻六

 その後,祭礼は,元禄7(1694)年に,江戸幕府の後援や霊元上皇などの努力で復興されました。また,祭で用いられる葵が徳川将軍家の家紋であり,将軍家も祭を重要視したため,祭の前に葵縵(あおいかずら)を将軍に献上することもありました。そして,この頃より,葵祭と呼ばれ始めたのです。

 明治時代に入ると,東京遷都や神祇制度の改変などで祭は縮小されましたが,明治17(1884)年に下社の神官などの尽力で,勅使行列が復活し,祭日も太陽暦の5月15日と定められました。

 第2次世界大戦中の昭和18(1943)年以降,行列は再度中止されましたが,同28年に葵祭行列協賛会などの努力で復興,同31年には斎王代(さいおうだい)以下女人列が加えられ,今日私達が目にする葵祭の行列となったのです。

 このように,葵祭の勅使派遣や行列の実施は,長い歴史の中で紆余曲折がありましたが,社家(しゃけ)の人々は,その間も,社頭の儀などの神社内の祭を変わることなく大切に脈々と守り続けていたのです。


賀茂神社とは

 賀茂神社は,賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ,上賀茂神社)と賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ,下鴨神社)の2社からなり,上社には雷神の賀茂別雷命(かものわけいかずちのみこと)を,下社には雷神の祖父賀茂建角身命(かものたけつぬみのみこと)と母玉依姫命(たまよりひめのみこと)の農耕神二柱を祀っています。

 両社は元々,京都盆地北部の豪族,賀茂県主(あがたぬし)一族の氏神で,奈良時代中頃までは1つだったのが,そこから下鴨神社が分立したと考えられています。

 更に,両社はともに広大な森に包まれており,祭ごとに神体山から祭神を迎える神迎えが行われるなど,社殿出現以前の古代信仰・自然信仰が現在まで色濃く残っています。


斎王(さいおう)
賀茂(紫野)斎院跡(櫟谷七野神社内)

 斎王は上・下両社に奉仕した王家の未婚女性のことで,在任中は賀茂(紫野)斎院(上京区上御霊前通大宮西入,櫟谷七野神社<いちいだにななのじんじゃ>周辺)で生活を行い,日常的に忌詞(いみことば)などを用いて不浄や仏事を避け,祭事に従事していました。

 弘仁元(810)年の薬子の変の際,嵯峨天皇が賀茂神に戦勝祈願したことから設置され,初代有智子内親王(うちしないしんのう,嵯峨天皇皇女)から13世紀初頭の礼子内親王(れいしないしんのう,後鳥羽天皇皇女)までの35名,約400年もの間続き,その後廃絶しました。

 そして,昭和31年になって,祭の「路頭の儀」に斎王代・女人列が加えられ,京都在住の未婚女性から斎王代が選ばれるようになり現在に至っています。

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   歩く・見る

  ※葵祭を中心とした現在の賀茂祭の行事とは,どのようなものなのでしょうか。

5月1日 上社(上賀茂神社)の競馬足汰式(くらべうまあしぞろえしき,馬場殿の前)

 5日の競馬会に出走する馬20頭を集め,馬の歯・毛色から馬齢や健康状態を確認し,次いで,1頭ずつ走らせて,馬上の姿勢,鞭の指し方,走る速さなどから当日の番立(出走の組合せ順序)を決定します。最後に,番立順に2頭ずつ走らせて馬や乗尻(のりじり,騎手)の様子を見る予行演習的な行事です。


5月3日 下社(下鴨神社)の流鏑馬神事(糺の森<ただすのもり>馬場)

 公家装束の射手が馬を疾走させ,馬場(約500メートル)にある3カ所の的に,「インヨー(陰陽)」と声をかけ矢を放ちます。

 祭の無事を祈り下社の境内を祓い清め,矢が的に当たれば豊作・諸願成就といわれています。上社の競馬会に准じた行事です。


5月5日 上社の競馬会(くらべうまえ)神事(参道脇の馬場)

 菖蒲の根の大小を競う根合わせ神事や乗尻などによる祓・奉幣(ほうべい)・祝詞(のりと)の奏上といった競馬会の無事終了を祈願する神事が行われた後,五番の競馬が行われます。終了後,勝者が勝の報告をし,次いで,参加者が宴会を行って神事は終了します。

 本来この神事は,本祭とは全く別の祭でしたが,現在は前儀と位置づけられています。


5月5日 下社の歩射(ぶしゃ)神事(舞殿の前)

 祭の沿道の邪気を祓うための弓神事で,直垂(ひたたれ)姿の数名の射手が楼門内の祭庭で大的(おおまと)に向かって次々と矢を放つ大的式と,1人の者が楼門の上に向けて高々と鏑矢(かぶらや)を放つ屋越(やこし)の神事の2部からなっています。


5月上旬吉日 斎王代御禊(さいおうだいみそぎ,上社・下社の御手洗川みたらしがわ))

 斎王代と女人列50余名の穢(けがれ)を祓う神事です。神官が中臣祓(なかとみばらえ)を読みあげた後,斎王代が御手洗川に手をひたして御禊を行い,次いで,上社では人形で胸を3度なで,下社では斎串(いぐし)を振り,最後に各々息を吹きかけて川へ流し再度穢を祓います。同様に女人列の人々も祓を行います。

 現在は,上社の楢(なら)の小川と下社の瀬見(せみ)の小川で1年交替で行われています。


5月12日昼 下社の御蔭祭(みかげまつり,御蔭神社から下社)

 下鴨神社の神霊迎えの重要神事です。

 神職や旧下社領五カ郷の氏人など約100名が御蔭神社(左京区上高野東山)に向かい,そこで神職が神霊の宿った神木を櫃に納めます。途中,賀茂波爾神社(かもはにじんじゃ,左京区高野上竹屋町,通称「赤の宮」)で路次祭を行い,氏子地内を巡った後,糺の森に入り,表参道の切芝(きりしば,祭祀場)で東游(あずまあそび)の舞を行い,本殿に神霊を祀ります。


5月12日夜 上社の御阿礼神事(御阿礼野から上社)

上賀茂神社の神霊迎えの神事で,上賀茂神社の祭祀の中でも最も古く荘厳な神事といわれ,奉仕する神職以外は見ることができません。

 神体山である神山(こうやま)と本殿との間にある丸山の一角に仮の祠(御阿礼所)を作り,ここで新しい神霊を榊に移した後,本殿に神霊を祀ります。


5月15日 葵祭 ― 路頭(ろとう)の儀(京都御所→下社→上社)
斎王代の乗る牛車。御簾に葵がかけられている。

 5つのグループから構成された総勢512名(馬36頭,牛4頭,牛車2台,腰輿<およよ>1基),約1キロメートルの行列です。

 それぞれに平安時代の装束に身をかため勅使・斎王代を警固しながら,午前10時半に京都御所建礼門前を出発し,下・上両社(各社到着後,社頭の儀が行われる)に向かう約8キロメートルの行程です。これが,一般に葵祭と呼ばれている行事です。

 第1列 警護列(検非違使<けびいし>・山城使<やましろづかい>)

 第2列 幣物列(御幣櫃<ごへいびつ>・内蔵寮史生<くらりょうのししょう>)

 第3列 走馬列(走馬<そうめ,御馬>・馬,寮使)

 第4列 勅使列(牛車〈御所車〉・舞楽人・勅使<近衛使(このえづかい)>・内蔵使<くらづかい>)

 第5列 斎王列(斎王代・女人・牛車<女房車>)

 現在では斎王列に注目が集まりがちですが,本来は天皇から賀茂神に幣物(へいもつ)と祭文(さいもん,宣命<せんみょう>)とを奉る勅使列(第4列)を中心とした行列です。これは,一般の祭礼の御神体が渡御する神幸行列とは異なる行列です。


5月15日 葵祭 ― 社頭の儀(下社・上社の社頭)

 賀茂神に対する祭文(宣命)・幣物の奉納儀と饗宴儀とからなっており,本来,これらが祭の中心でした。

 まず勅使が内蔵使より祭文を受け取り,奏上します。次いで宮司が祭文・幣物を神前に奉納し,神からの神宣・返祝詞を申し,勅使は葵桂を授かり退出します。その後,饗宴儀に移ります。まず2頭の神馬が舞殿を3周廻り,次いで東游の舞を奉納します。更に上社では,走馬の儀や御阿礼所で祝詞を奏上する山駈け神事が行われ一日の神事が終了します。

 なお,賀茂社の祭文は古来より紅紙に書かれ,両社合わせて一通なので,下社での社頭の儀の後,上社に納められます。

 この他,戦後,加えられた協賛事業として,5月4日の献香祭・奉納古武道(下社舞殿),5月6日の献花祭(下社),5月17日の献茶祭(上・下社)・煎茶献茶祭(下社)などがあります。

葵祭行列順路

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