遊学案内書の刊行
江戸中期の儒学者江村北海(えむらほっかい)によれば,
凡(およ)ソ諸国ヨリ京学々々トテ京都ヘ来リ学ブ生徒,来ルア リ帰ルアリ,来去常ナシトイヘドモ,大抵一年ニ幾百ヲ 以テ数フベシ (『授業編』天明元<1781>年序)
といい,当時は地方から毎年数百人もの生徒が修学のために上洛していたことがわかります。
京都での手づるを持たずに遊学してくる人々にとって,どの学者に入門すべきかという手引き書となったのが『平安人物志』です。その初版凡例には「此の編の作,他邦の人,京師(けいし)に遊学する者の為に輯(あつ)む」とあって,本文には京都に居住する文化人の姓名・字号・住所・俗称などが紹介されています。
同書は何度も版を改めて内容を刷新しており,
- 明和4(1767)年
- 安永4(1775)年
- 天明2(1782)年
- 文化10(1813)年
- 文政5(1822)年
- 文政13(1830)年
- 天保9(1838)年
- 嘉永5(1852)年
- 慶応3(1867)年
の計9版を数えました。ただし京都の学問的中心という役割が衰えると,入門案内というより京都の文化人名鑑という意味を持つようになったといわれています。
なお,こうした入門案内の類似書として,京都で開業する医師の姓名や門流,および内科・外科などの担当科を列挙した『良医名鑑』(りょういめいかん)『天保医鑑』(てんぽういかん)『洛医人名録』(らくいじんめいろく)などがあります。これらはまた,患者が名医を求めるための資料としても利用されました。
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『平安人物志』(天保9年版)右に講習堂,左には古義堂の名が見えます。 |
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