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平安貴族たちの服装は,延暦13(794)年に都が平安京に移ってから百年ほどの間は唐文化の影響が強く,奈良時代以来の唐風の服装を使用していました。その後,9世紀後半になると,唐の文化に憧れながらも,日本の自然環境に順応した生活様式を形成し,服装もまた独自の形式を生み出していきます。それが絵巻物や祭礼等でよく見る「束帯」や「女房装束(十二単<じゅうにひとえ>)」などであり,現代の人々のイメージする平安時代の服装とはこれらの衣装を指しています。 この頃の服装の特徴は,曲線的なやわらかさと重ね色目の調和による優雅な服飾美にあり,非常にゆったりとした仕立てになっていました。これは,王朝貴族の生活が座ることを基本の形にしていたためであり,また,湿度が高く蒸し暑い京都の夏に理由があるともいわれています。 |
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![]() 貴族の男性が朝廷で着用する最も正式な服装は束帯(そくたい)です。その束帯に次ぐ礼服には,布袴(ほうこ)や衣冠(いかん)があり,常服には,直衣(のうし)や狩衣(かりぎぬ)などがあります。 これらの他に,上皇などが外出する際に護衛としてつき従った近衛府(このえふ)の高官が着る随身姿(ずいじんすがた,御随身)や,身分の低い武官の正装である褐衣(かちえ),傘持・沓持(くつもち)など雑役に従事した仕丁(しちょう)が着用した白張(はくちょう),貴族の元服前の男児が着用した水干(すいかん),もともとは,庶民の労働着だったものが,平安末期から武士の日常着となった直垂(ひたたれ),更には僧侶が着た袈裟(けさ)や平家物語を弾き語りした琵琶法師の装束といったものが当時の男性の代表的な服装としてあげることができます。 |
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次のような順序で束帯は着用されます。
武官の場合は,頭に巻纓冠(けんえいのかんむり)をかぶり,冠の左右には馬の毛で作った 纓(えい)…冠の後に付いている布で,立っているのが立纓(りゅうえい),垂れているのが垂纓(すいえい),巻いているのが巻纓(けんえい)です。 大口(おおぐち)…下袴の一種で,公家用(赤大口),武家用(後張の大口),幼年用(前張の大口)とがあります。 単(ひとえ) …小袖の上から着用する裏のない一重の衣服。 衵(あこめ) …単の上に着けた裏付きの衣服。寒暑や好みに任せて数領重ねたものを衵重(あこめかさね)といいます。 表袴(うのはかま)…重ねの袴の最上につける袴。束帯の際には白袴を使用。裾を少し上げ赤大口を見せます。 下襲(したがさね)…前側は腰までの丈で後側の裾(きょ,すそ)が長い衣服。袴の上に着流します。 袍(ほう)…束帯の最後に着る衣服。袍の色は天皇が黄櫨染(こうろぜん,茶系の色),東宮(皇太子)が黄丹(おうに,橙系の色),上皇が赤,諸臣は四位以上が黒,五位が緋(あけ,赤系の色),六位以下が縹(はなだ,青系の色)と決められています。 また,束帯姿の袍には,文官および四位以上の武官が着る縫腋袍(ほうえきのほう)と,それ以下の武官が着る闕腋袍(けってきのほう)があります。この二つには縫製に違いが見られ,袖丈の下より裾までが全て縫い合わされているものが縫腋袍,下半身を動きやすくするために切れ目が入れられているのものが闕腋袍です。 ○布袴(ほうこ)…赤大口を下袴に,表袴を指貫(さしぬき,表袴より幅広で座りやすく,裾を紐で絞っている)に替えたもの。 ○衣冠…束帯の略装で,束帯が昼装束(ひのしょうぞく)と呼ぶのに対して宿装束(とのいしょうぞく)といわれましたが,やがて平常の参内等にも着用されるようになりました。赤大口をはかず下袴をはき,表袴は指貫に替えます。下襲・石帯・太刀・襪(しとうず)は用いず,笏の代わりに檜扇(夏は蝙蝠<かわほり>)を持ち,垂纓冠をかぶります。 ○直衣(のうし)…貴族が日常着として採用した私服。衣冠と形態は似ていますが,袍の一種である直衣(色の決まりがない)を着用します。日常では冠の代わりに烏帽子(えぼし)をかぶる時もあります。 ○狩衣(かりぎぬ)…貴族の略装で,もともと狩猟に用いる衣服。衣冠と形態は似ていますが,袍の一種である狩衣を使用します。この狩衣は,袍より身幅が狭く,袖の後側の肩先だけを縫いつけ,あとは明け開いたままの状態で仕立てられており,袖口にはひも(くくり緒)が通されています。 |
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![]() 貴族の女性が,朝廷で着用する正式な服装を女房装束といい,近世以降,衣を12枚着ているように見えるため,一般に十二単といわれるようになったようです。それに対して,貴族の女性の常服には小袿(こうちき)姿があります。 これらの他には,公家や上流武家の女性達の外出着である壺装束(つぼしょうぞく)や,後宮に奉仕する童女の正装である汗衫(かざみ),童女の通常服である衵(あこめ)といったものが当時の女性の代表的な服装としてあげることができます。 |
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次のような順序で女房装束は着用されます。
袿(うちき) …重ね着が基本でその数によって寒暖の調節を行う衣。袖口や襟元,裾口の色の装飾として用い,その枚数が競われたため,平安時代末期には5枚に限定されました。五衣(いつつぎぬ)ともいいます。 打衣(うちぎ)…絹に糊を引いた衣。柔らかな表着(うわぎ)の下につけて衣紋を整えるために用いました。形状は袿と同様ですが目立たせないために,表着よりやや小形に仕立ててあります。 表着(うわぎ)…下の袿よりも色目・文様を相違する華麗な織物を用います。重ねの色目を襟や袖などの端からのぞかせるために小振りに仕立ててあります。 唐衣(からぎぬ)…禁中に奉仕する女房たちには不可欠な表着の上に着用する腰丈の衣。 裳(も)…後腰に巻き付けて長く裾をひく背面だけの衣服。 ○小袿姿(こうちき)…女房装束の略装で,袿よりも裾短に仕立てられた小袿を唐衣の代わりに着したもの。基本的には袿の上に着けるのを本義とし,改まったときには表着を小袿の下に着用しました。また,腰に裳を加える場合もあります。 |
以下のような京都の祭礼や資料館では,平安時代を彩った貴族の服装を近くで見ることが出来ます。 | |||
![]() 5月15日に行われる京都三大祭の一つです。 行列は,(1)警護列(検非違使<けびいし>・山城使),(2)幣物列(御幣櫃・内蔵寮史生),(3)走馬列(走馬〈御馬〉・馬寮使),(4)勅使列(牛車〈御所車〉・舞楽人・勅使〈近衛使〉・内蔵使),(5)斎王列(斎王代・女人・牛車〈女房車〉)の五部から構成されています。 このように,葵祭の行列には,様々な階層の衣装を着た人々が参列していることから,平安時代の服装を知る上でうってつけの時代絵巻といえます。 |
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![]() 右京区嵯峨朝日町の車折神社(くるまざきじんじゃ)の例祭で5月の第3日曜に嵐山の大堰川(おおいがわ)で行われます。この祭りは,昌泰元(898)年,宇多上皇行幸に際して行われた船遊びにちなみ,昭和3(1928)年の昭和天皇即位大礼を記念し,例祭の神事として始められました。三船祭の三船は白河天皇(1053~1129)が大堰川行幸の時,漢詩・和歌・奏楽に長じた者を三艘の船に便乗させた故事によります。 車折神社を出発した神幸列は,渡月橋を経て中之島公園剣先から御座船に移乗し,龍頭船(りゅうずせん)では管弦楽,鷁首船(げきすせん)では迦陵頻(かりょうびん)・胡蝶(こちょう)の舞の奉納があり,扇流しも行われます。この祭には,束帯や女房装束などの平安時代の衣装を身にまとった人々が,詩歌船などの船々に便乗して,貴族さながらに優雅な船遊びを再現します。 |
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10月22日に行われる京都三大祭の一つです。 行列は,計20列で構成され,明治維新の維新勤王隊列(いしんきんのうたいれつ)を先頭に,順次時代を遡り,最後に弓箭組列(きゅうせんぐみれつ)が付くといった,各時代の衣装を身にまとった人々が供奉する形式がとられています。 中でも,幕末志士列(ばくまつししれつ)・藤原公卿参朝列(ふじわらくぎょうさんちょうれつ)・平安時代婦人列(へいあんじだいふじんれつ)・延暦武官行進列(えんりゃくぶかんこうしんれつ)・延暦文官参朝列(えんりゃくぶんかんさんちょうれつ)は,平安時代の服装を知る上で貴重な行列です。 |
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![]() 城南宮(伏見区中島鳥羽離宮町)の平安の庭・楽水苑で春は4月29日,秋は11月3日に行われている行事。「ごくすいのえん」ともいいます。 平安時代,朝廷で3月上巳(じょうし,3月最初の巳の日)に三公九卿により行われた遊宴を再現したもので,歌人が流水に沿って列座し,上流から朱の羽觴(うしょう,はやく飲めというしるしに羽をはさんだ酒杯)が流れてくるまでに,歌題に従って歌をつくり,その酒杯をとって飲む儀式を行います。 本殿でお祓いのあと,水干姿の童子に導かれて登場する歌人達は狩衣・小袿であり,平安時代の貴族の略装を見る上では格好の祭礼です。 |
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![]() この博物館は風俗衣装の資料館として昭和49年に開館しました。館内には『源氏物語』に出てくる六条院の春の御殿が4分の1のスケールで設置されています。また,飛鳥時代から現代に至る各時代の風俗衣装をまとった等身大の人形三十数体を展示しており,衣装に関する参考資料を多く所蔵しています。 |
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![]() このミュージアムは,『源氏物語』で光源氏没後の世界を描いた「宇治十帖」の舞台となった宇治市に平成10(1998)年に開館しました。 常設展示室には狩衣姿の薫君と小袿姿の大君(おおいきみ)と中の君の人形が展示されています。その他,牛車・舞楽・調度などの品々が,細部に至るまで細かく時代考証によって造り上げられており,平安貴族の世界を十二分に堪能させてくれます。 |