大石神社創立記念碑

YA095

おおいしじんじゃそうりつきねんひ
石碑(0028078)石碑周辺(0028079)

 大石神社の祭神である播磨赤穂藩主浅野家の家老大石良雄(1659〜1703)は,江戸城内での刃傷沙汰で領地召し上げとなったため,縁戚で浅野家に仕える進藤源四郎の縁故により,進藤の出身地である山科に居を構えた。故居の近くに浪曲師吉田大和之丞(吉田奈良丸)らにより昭和10年に創建されたのが大石神社である。この碑は昭和12年に府社になったのを機に建立された。

所在地山科区西野山桜ノ馬場町(大石神社内)
位置座標北緯34度58分11.9秒/東経135度47分44.7秒(世界測地系)
建立年1938年
建立者大石神社建設会
寸 法高280×幅97×奥行18cm
碑 文
[東]
創立記念【篆額】
赤穂義士の挙独当時を聳動せしのみならず長く後人をして感孚せしめ義士の名を」
専にするに至る   大石良雄命克く義士を統率せられ四十七士其の心を一にす   こ」
の山科の地は大石氏隠棲の遺蹟にして元禄十四年六月以来優游世を韜晦せられし」
こと一年有餘に及び義士密に熱中往来し実に苦節の策源地なりき   赤穂に大石神」
社あり東都に泉岳寺ありと雖どもこの芳躅亦世に喧伝せられ人の仰慕措かざる所」
なり   乃ち兵庫吉田大和之丞氏山科義士会京都市大石神社建設後援会等相謀り英」
霊を齋祀し以て誠忠義烈を顕揚せんとし京都府庁内に大石神社建設会を起し昭和」
八年十二月允許を得境域はこの地特志者の寄附に依り本殿拝殿回廊透塀神饌所手」
水舎社務所鳥居等を建造し輪奐の美全く備はる   同十年十二月虔みて鎮祀の儀を」
修め同十二年四月府社に列せられ遺烈弥光を加ふ   茲に其の概要を記し石に勒し」
て以て後世に伝ふといふ
[西]
                                    京都柴田石材店刻
昭和十三年六月   建之
   大石神社建設会長
      京都府知事従四位勲三等   鈴木敬一
                                                      出雲路通次郎撰
                                                      岸本定美書
調 査2009年4月17日
備 考
位置図
位置図

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