元慶寺再興碑 碑文の大意 |
僧正遍照は,俗人の時は良峰宗貞と名乗った。仁明天皇に仕え左近衛少将にまで昇ったが,天皇が没すると出家し慈覚大師の弟子となった。清和天皇は遍照を重んじ,勅命をもって寺院を建てさせ華頂山と呼ばせた。清和天皇が即位した元慶元年に定額寺に列せられ,天皇は元慶寺の梵鐘を造らせ,菅原道真がこれに銘を書いたという。ついで遍照は僧正に任じられ天皇に重んじられた。 遍照没後90年を経て,花山天皇がこの寺で出家した。元慶寺で得度を受けて出家した人は数多いが,王位を捨てて仏門に入る例は空前絶後である。 年月を経て,寺は朽ち果て,また戦乱のために焼けてしまった。悲しいことである。安永8(1779)年,先代の妙厳和尚が寺の再興を計画した。これは妙法院宮堯恭親王の遺志に従ったものである。和尚没後わたし(筆者亮雄)が再興事業を継承し,盛事の十分の一にも足りないが,ともかく堂舎を整備し名跡を残すことができた。願うことは,わたしの後任の者は勉学にはげみ戒律を守り,皇室歴代の恩に報い,ふたたび寺を荒廃に導くことがないように。 |