北花山水路紀念碑 碑文の大意
 山科村の西北地区は山に囲まれている。そのふもとに日岡・北花山・上花山・川田・西野山の五つの集落がある。どこも水に乏しく,雨の少ない年には作物が枯れてしまい,農民は困窮に迫られることが五年に一度はあった。
 山科村長柳田謙三はこのことを心配し,水利委員谷川久左衛門・長澤権右衛門・ 松井辨右衛門・松井繁之丞・前田久左衛門・枡田磯吉・柳生藤次郎・田中一郎・進藤繁三郎・篠田平四郎と相談し,5キロ以上にわたる水路を開いて山の谷水(実は琵琶湖疏水からの分水)を潅漑用水として使うことを計画した。明治24年7月から工事を始め,翌年12月に竣工した。工期550日,従事者のべ15,000人にのぼる大工事であった。  この水路により地域のやせた田は豊かな田に変わり,日照りに苦しんだことは昔ばなしになったのである。工事が成功したのは地勢によることも大きいが,やはり計画を立てた諸氏の偉大な力によるものである。五地区の有志はこの工事の記念碑を建てようと思い,わあし(筆者頼潔)に碑文を依頼した。そこで永く功績が伝わるように事の顛末を記す次第である。(以下銘文略)