愚堂国師入定地

YA064

ぐどうこくしにゅうじょうのち
石碑(0015193)石碑周辺(0018444)

 愚堂東寔(ぐどうとうしょく,1577〜1661)は,美濃国(現在の岐阜県)に生まれ,妙心寺聖沢院の庸山景庸(1559〜1626)に師事した後,妙心寺住持を三度勤めた臨済宗の高僧。後水尾院(1596〜1680)や徳川家光(1604〜51)・保科正之・中院通村など多くの公家・武家から帰依され,死去の翌年には国師号を授けられ大円宝鑑国師と追諡されている。また正伝寺(岐阜県八百津町)・中山寺(三重県伊勢市)など,各地に多くの寺院を開いた。近世初頭における臨済宗復興の先駆的人物であったが,万治元(1658)年に華山寺を建立して退隠し,この地で入滅した。この石標は,その愚堂東寔の入滅地を示すものである。

所在地山科区北花山河原町(華山寺前)
位置座標北緯34度59分20.8秒/東経135度48分05.3秒(世界測地系)
建立年
建立者丹羽みつ江
寸 法高230×幅40×奥行35cm
碑 文
[北]
愚堂国師入定之地 華山寺
[南]
丹羽みつ江 建之
調 査2003年11月6日
備 考

位置図
位置図

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