琵琶湖疏水煉瓦工場跡YA062 |
びわこそすいれんがこうじょうあと |
明治18(1885)年に始められた琵琶湖疏水工事では,あらゆる箇所で煉瓦を使用する予定であった。しかし当時の京都には大量の煉瓦を製造できる工場がない上,品質・経費などの諸事情を考慮した結果,京都府は自営自給することを決め,原料の採取と製品の運搬に便利なこの地を選び,煉瓦工場を新設した。工場は,明治19(1886)年の7月から明治22年10月末に閉鎖されるまで稼働し,この間に約1368万7000個の煉瓦を焼き,そのうち約1073万600個が疏水工事に使用された。この石標は,琵琶湖疏水工事に用いた煉瓦を焼いた工場の跡地を示すものである。 |
所在地 | 山科区御陵原西町(地下鉄京阪御陵駅入口) |
位置座標 | 北緯34度59分44.9秒/東経135度48分08.9秒(世界測地系) |
建立年 | 1989年 |
建立者 | 京都洛東ライオンズクラブ |
寸 法 | 高130×幅18×奥行18cm |
碑 文 | |
[南] | |
琵琶湖疏水煉瓦工場跡 | |
[西] | |
平成元年十一月建之 京都洛東ライオンズクラブ | |
[東] | |
京都市制一〇〇周年記念 | |
琵琶湖疏水工事竣工一〇〇周年記念 | |
[副碑南 横書] | |
琵琶湖疏水煉瓦工場跡 | |
(絵あり) | |
琵琶湖疏水工事図巻(田村宗立筆)より | |
鏡山・天智天皇陵を背景に、疏水建設 に必要な煉瓦製造工場が御陵原西町一帯 に設けられた。 | |
当時わが国には、この大工事を賄う煉 瓦製造能力がなく、京都府は自給の方針 を立て、原料の採取と製品の運搬に適し たこの地を選定、若き技師菊田宗太郎を 起用し、明治19年7月操業開始、明治22 年10月に閉鎖されるまで1370万個を製 造した。 | |
京都再生への命運をかけた琵琶湖疏水 建設が、日本の近代土木・工業技術等の 発展の魁となった足跡を語る遺跡である。 | |
煉瓦工場概要 | |
敷地13,471坪 工場10棟・窯場3棟 窯12ヶ所・煙突8基 | |
調 査 | 2003年11月6日 |
備 考 |
位置図 | |