志賀直哉旧居跡

YA025

しがなおやきゅうきょあと
石碑(0007209)石碑周辺(0007212)

 志賀直哉(1883~1971)は,詩人竹内勝太郎(1894~1935)の紹介により,大正12(1924)年10月26日,粟田口三条から居をこの地に移し,同14年4月まで住まいした。山科における体験をもとに「山科の記憶」「痴情」「晩秋」「瑣事」などの多くの作品が生まれた。この石標はその邸宅跡を示すものである。

所在地山科区竹鼻立原町
位置座標北緯34度59分18.9秒/東経135度49分08.2秒(世界測地系)
建立年1989年
建立者京都洛東ライオンズクラブ
寸 法高122×幅74×65cm/(副碑)高75×幅60×奥行20cm
碑 文
[東]
山科之記憶
 
[副碑東]
         志賀直哉旧居跡
   山科川の小さい流れについて来ると、
月は高く、寒い風が刈田を渡って吹いた。
                                          山科の記憶
   志賀直哉は、大正十二年十月から同十四年
四月までの約二年当地に居住、こゝでの体験
をもとに、「山科の記憶」「痴情」「瑣事」
「晩秋」など、一連の作品が生まれた。
   細い土橋、硝子戸、池庭のある一軒家で、
その清澄な文学のように、美しい山科の自然
に囲まれた静かな住まいであった。
[副碑西]
平成元年四月吉日
京都洛東ライオンズクラブ建立
調 査2002年2月18日
備 考

位置図
位置図

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