中臣遺跡

YA006

なかとみいせき
石碑(0006249)石碑周辺(0006182)

 中臣遺跡は,山科盆地の南部,栗栖野丘陵を取り巻く一帯をいう。この地には中臣鎌足(614〜69)の陶原館があった可能性も指摘されている。昭和44(1969)年から発掘調査が進められ,縄文時代から室町時代に至る遺物が発掘されたが,宅地造成によって群集墳の大部分は破壊された。この石標はその遺跡の地を示すものである。

所在地山科区勧修寺東栗栖野町(勧修小学校内)
位置座標北緯34度58分11.5秒/東経135度48分27.8秒(世界測地系)
建立年1979年
建立者京都洛東ライオンズクラブ
寸 法高110×幅18×奥行18cm
碑 文
[南西]
この
      中臣遺跡
付近
[北東]
昭和五十四年三月   京都洛東ライオンズクラブ建之
調 査2002年2月15日
備 考

位置図
位置図

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