中臣遺跡YA006 |
なかとみいせき |
中臣遺跡は,山科盆地の南部,栗栖野丘陵を取り巻く一帯をいう。この地には中臣鎌足(614〜69)の陶原館があった可能性も指摘されている。昭和44(1969)年から発掘調査が進められ,縄文時代から室町時代に至る遺物が発掘されたが,宅地造成によって群集墳の大部分は破壊された。この石標はその遺跡の地を示すものである。 |
所在地 | 山科区勧修寺東栗栖野町(勧修小学校内) |
位置座標 | 北緯34度58分11.5秒/東経135度48分27.8秒(世界測地系) |
建立年 | 1979年 |
建立者 | 京都洛東ライオンズクラブ |
寸 法 | 高110×幅18×奥行18cm |
碑 文 | |
[南西] | |
この | |
中臣遺跡 | |
付近 | |
[北東] | |
昭和五十四年三月 京都洛東ライオンズクラブ建之 | |
調 査 | 2002年2月15日 |
備 考 |
位置図 | |