所在地 | 右京区嵯峨二尊院門前長神町(二尊院内) |
位置座標 | 北緯35度01分17.9秒/東経135度40分04.8秒(世界測地系) |
建立年 | 2005年 |
建立者 | 井筒八ツ橋本舗六代津田佐兵衛 |
寸 法 | 高142×幅98×奥行70cm |
碑 文 | |
| [南西] |
| 小倉餡発祥之地 |
| 小倉山二尊院四十二世 寂裕(印一顆)【「小倉山二尊教院華臺寺」】 |
| [北東] |
| 小倉餡発祥の由来 |
| 日本で初めて小豆と砂糖で餡が炊かれたのは平安京が出来て間もなくの八百二十年の」 |
| ことであります。 |
| 当時このあたり小倉の里に和三郎という菓子職人がいて亀の子せんべいを作って」 |
| いましたが、八百九年に空海が中国から持ち帰った小豆の種子を栽培し、それに御所から」 |
| 下賜された砂糖を加え、煮つめて餡を作り,これを毎年御所に献上されました。」 |
| その後、この和三郎の努力で洛西を中心に小豆が広く栽培され、江戸時代には茶道の」 |
| 菓子にも用いられ、ハレの料理にも加えられるようになりました。 |
| 和三郎は承和七年二月二日(八百四十年)に亡くなりましたが、その子孫並びに」 |
| 諸国同業の人々がその功績をたたえて小倉中字愛宕ダイショウの里に一社を建て、」 |
| 朝廷の允許を得て、屋号が亀屋和泉でありましたので、和泉明神としてまつられる」 |
| ようになりました。 |
| その後年月を経て明神の社は兵火に焼かれ、子孫も絶えて、只古老の伝承として伝え」 |
| られて来ましたが、昭和二十三年三月に嵯峨商工研究会の席上にて藤本辰造氏を始め」 |
| 高桑義正、鈴木広政、津田佐兵衛(五代)、中路明の諸氏の方々から此の伝承が確認」 |
| されています。 |
| 今ここに創業二百年を記念してこの碑を建立することにより、小倉餡の歴史を」 |
| 解明する端緒となれば幸いです。 |
| 平成十七年三月六日 |
| 井筒八ツ橋本舗 六代 津田佐兵衛建之 |
調 査 | 2008年12月30日 |
備 考 | |