広沢池碑 碑文の大意
 真言宗広沢御流の名は広沢池にちなみ,池はむかしは遍照寺の境内だった。伝えるところでは,天元2(979)年に遍照寺の開祖である寛朝上人が池を開いたという。非常に風情のあるところで,とくに秋には名月をめでる文人でにぎわった。池は周囲の潅漑用水としても,今にいたるまで役に立っている。
 遍照寺の現住職豊暢和尚はわたし(筆者股野琢)の同郷の友人である。広沢池のむかしの面影がしだいに廃れていくのを嘆き,池をさらいまわりに木を植えて改修した。そこで記念に石碑を建てたいと,わたしに碑文を依頼した。
 思うに,後鳥羽院の御製に「広沢の池にやどれる月影や昔を照らす鏡なるらむ(後鳥羽院御集)」とあり,また,後宇多院の御製に「こころざし深く汲みてし広沢のながれは末もたえじとぞ思ふ(風雅和歌集)」とある。この二首は広沢池の風光をみごとに伝えるものである。ほかに文を費やす必要があるだろうかと。和尚いわく「善し」と。