中御所阯UK032 |
なかのごしょあと |
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| 後嵯峨(1220〜72)・亀山(1249〜1305)・後宇多(1267〜1324)の三上皇は,落飾ののち大覚寺に入った。後宇多上皇はこの地を仙洞御所として院政を行い,続いて伽藍造営に力を注いだことから大覚寺の中興と呼ばれる。この石標は中御所と呼ばれた院の跡を示すものである。 |
| 所在地 | 右京区北嵯峨名古曽町 |
| 位置座標 | 北緯35度01分48.7秒/東経135度40分50.0秒(世界測地系) |
| 建立年 | |
| 建立者 | 文部省 |
| 寸 法 | 高136×幅24×奥行24cm |
| 碑 文 | |
| [南] | |
| 中御所阯 | |
| [北] | |
| 文部省 | |
| 調 査 | 2002年3月1日 |
| 備 考 |
| 位置図 | |
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