小倉山荘旧址厭離庵UK007 |
おぐらさんそうきゅうしえんりあん |
藤原定家(1162〜1241)は,子為家(1198〜1275)の舅宇都宮頼綱(蓮生入道,1172〜1259)から依頼され,古来の名歌を選び障子色紙に書き記した。この色紙が小倉百人一首のもとになったといわれている。この地には,定家の小倉山荘と頼綱の中院山荘があった。山荘は,為家の子孫である冷泉家に伝えられ,江戸時代に同家が修復し,霊元法皇(1653〜1732)から厭離庵の号を受けた。この石標は厭離庵を示すものである。 |
所在地 | 右京区嵯峨二尊院門前北中院町 |
位置座標 | 北緯35度01分20.0秒/東経135度40分15.7秒(世界測地系) |
建立年 | 1929年 |
建立者 | 三宅安兵衛遺志 |
寸 法 | 高129×幅21×奥行18cm |
碑 文 | |
[南] | |
定家卿柳の水 | |
小倉山荘旧址厭離庵 | |
為家卿の墓 | |
[北] | |
昭和四年三月 禀京都三宅安兵衛遺志建之 | |
調 査 | 2002年2月12日 |
備 考 |
位置図 | |