桓武天皇勅営角倉址・了以翁邸址・平安初期鋳銭司旧址

UK005

かんむてんのうちょくえいすみのくらあと・りょういおうていあと・へいあんしょきちゅうせんしきゅうし
石碑(0006318)石碑周辺(0006313)

 桓武天皇(737〜806)勅営角倉址は,寛永6年11月林羅山(1583〜1657)撰文「河道主事嵯峨吉田了以翁碑銘」に「洛の四隅に各々官倉あり,西に在るを角倉という」とありこの意味か。これが地名となり角倉了以(1554〜1614)の祖徳春がここに住したことから角倉を家名としたと伝える。
 了以翁邸址は,角倉了以の先祖が嵯峨野に隠居し,土倉を営み「角倉」を家号としたと伝えられる。以後,角倉宗家は大覚寺門前に屋敷を構えた。また,大堰川の浚削工事を行った了以・素庵(1571〜1632)父子は舟運管理のためにこの地に邸宅を設けていた。
 平安初期鋳銭司は嵐山の麓辺りにあったと記されるが詳細は不明。
 この石標は,桓武天皇勅営角倉,および了以翁邸,さらに平安初期鋳銭司の跡を示すものである。

所在地右京区嵯峨天龍寺角倉町(公立学校共済組合嵐山保養所花のいえ前)
位置座標北緯35度00分49.9秒/東経135度40分52.6秒(世界測地系)
建立年1929年
建立者三宅安兵衛遺志
寸 法高144×幅23×奥行20cm
碑 文
[南東]
此   桓武天皇勅営角倉址了以翁邸址
近   平安初期鋳銭司旧址
[北西]
昭和四年三月   稟京都三宅安兵衛遺志建之
調 査2002年2月12日
備 考

位置図
位置図

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