桓武天皇勅営角倉址・了以翁邸址・平安初期鋳銭司旧址UK005 |
かんむてんのうちょくえいすみのくらあと・りょういおうていあと・へいあんしょきちゅうせんしきゅうし |
桓武天皇(737〜806)勅営角倉址は,寛永6年11月林羅山(1583〜1657)撰文「河道主事嵯峨吉田了以翁碑銘」に「洛の四隅に各々官倉あり,西に在るを角倉という」とありこの意味か。これが地名となり角倉了以(1554〜1614)の祖徳春がここに住したことから角倉を家名としたと伝える。 了以翁邸址は,角倉了以の先祖が嵯峨野に隠居し,土倉を営み「角倉」を家号としたと伝えられる。以後,角倉宗家は大覚寺門前に屋敷を構えた。また,大堰川の浚削工事を行った了以・素庵(1571〜1632)父子は舟運管理のためにこの地に邸宅を設けていた。 平安初期鋳銭司は嵐山の麓辺りにあったと記されるが詳細は不明。 この石標は,桓武天皇勅営角倉,および了以翁邸,さらに平安初期鋳銭司の跡を示すものである。 |
所在地 | 右京区嵯峨天龍寺角倉町(公立学校共済組合嵐山保養所花のいえ前) |
位置座標 | 北緯35度00分49.9秒/東経135度40分52.6秒(世界測地系) |
建立年 | 1929年 |
建立者 | 三宅安兵衛遺志 |
寸 法 | 高144×幅23×奥行20cm |
碑 文 | |
[南東] | |
此 桓武天皇勅営角倉址了以翁邸址 | |
附 | |
近 平安初期鋳銭司旧址 | |
[北西] | |
昭和四年三月 稟京都三宅安兵衛遺志建之 | |
調 査 | 2002年2月12日 |
備 考 |
位置図 | |