源融公栖霞観地UK003 |
みなもとのとおるこうせいかかんのち |
嵯峨天皇皇子左大臣源融(822〜95)は,摂政藤原基経(836〜91)の台頭により,この地に隠棲した。この石標は嵯峨天皇の離宮嵯峨院の西隣に営まれた山荘栖霞観の跡を示すものである。なお,この山荘は融没後,寺に改められ,「然(938〜1016)が宋より招来した釈迦如来像を安置した寺内の釈迦堂はのちに清凉寺となった。 |
所在地 | 右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町(清凉寺前) |
位置座標 | 北緯35度01分21.2秒/東経135度40分28.6秒(世界測地系) |
建立年 | 1929年 |
建立者 | 三宅安兵衛遺志 |
寸 法 | 高181×幅32×奥行30cm |
碑 文 | |
[南] | |
心経秘鍵薬師 | |
源融公栖霞観の地 | |
融公百万上人遊女夕霧墓 | |
[東] | |
東 大覚寺大沢池広沢池御室北野道 | |
[西] | |
小楠公首塚欽忠碑 定家卿小倉山荘 | |
西 道 | |
二尊院祇王寺化野清滝愛宕神社 | |
[北] | |
昭和四年春 禀京都三宅安兵衛遺志建之 | |
調 査 | 2002年2月12日 |
備 考 | 小楠公御首塚の寺【道標】(UK073),小倉山・二尊院西二町【道標】(UK074),嵯峨帝陵東北十六町【道標】(UK075),御室・北野方面【道標】(UK076)と並び立つ |
位置図 | |