西八条第跡SI078 |
にしはちじょうていあと |
![]() ![]() |
|
平清盛(1118〜1181)は、平安時代末期の政治家・武士。保元・平治の乱を勝ち抜き、後白河院らと協調して権勢を築き、従一位・太政大臣にまで至った。政庁的性格の強い六波羅に対し、私邸とみられるのが西八条第。八条大宮北西の6町ほどを占め、そこに清盛邸をはじめ、いくつかの施設があったという。清盛は、仁安3年(1168)に出家した以後は福原(神戸市)を主たる住まいとしたため、この地にはその妻時子(二位尼)が暮らした。清盛没後の寿永2年(1183)平家都落ちの際、平家方が自ら火を放ち、焼失。この石標は平清盛ら平家一門がいとなんだ西八条第跡を示すものである。 |
| 所在地 | 下京区歓喜寺町(梅小路公園「朱雀の庭」内) |
| 位置座標 | 北緯34度59分11.7秒/東経135度44分42.5秒(世界測地系) |
| 建立年 | |
| 建立者 | |
| 寸 法 | 高82×幅80×奥行25cm |
| 碑 文 | |
| [北西] | |
| 平清盛公 | |
| 西八条第跡 | |
| 調 査 | 2025年9月17日 |
| 備 考 | 「朱雀の庭」は有料。 |