道路開鑿紀念碑

SI086

どうろかいさくきねんのひ
石碑(0029070)石碑周辺(0029071)

 紀伊郡柳原町では,京都駅と本町通(現東山区)を結ぶ塩小路通の敷設を京都府へ強く要望し,明治34(1901)年に竣工し塩小路通と命名された。大正7(1918)年,柳原町は他の周辺村とともに京都市へ編入された。この碑は柳原町の京都市編入を機に,当事者の功績を顕彰するために建てられた。

所在地下京区下之町(柳原銀行記念資料館前)
位置座標北緯34度59分10.4秒/東経135度45分52.4秒(世界測地系)
建立年1918年
建立者京都府紀伊郡柳原町
寸 法高230×幅110×奥行15cm
碑 文
[南]
道路開鑿紀念之碑【題額】
京都駅より下京区本町通に達する道路は紆餘曲折して交通甚不便なりけれ
ば其の中間に介在する紀伊郡柳原町は常に道路開通を切望すること久
しかりしが遂に明治三十三年七月町長唐瀧庄三郎発起し本郡府会議員も亦之れ」
を好機として建議する所ありき当時府は経費多端の際なりしが本道開
通の成否は独此の町の利害に止らず延て都市の発展に影響すること尠から
さるかゆゑに決然提案せられたり然れども府会の形勢は甲論乙駁或は尚
早を唱へ或は速成を叫びて論議紛々たりしが柳原町長其の他の有志
者の真摯熱烈なる誠意により議漸く速成に傾き終に満場一致の可決を
得茲に積年の宿望を貫徹しぬ乃同三十四年十二月起工同三十六年六月
竣成して塩小路通と名づけたり而して道路敷地は關係地主の寄附にかゝり
工費約弐万円なり爾来交通運輸の便実に昔日の比に非ず以て公益を増
進せること幾何なるを知らず洵に美挙と謂ふべし今此の町の京都市に
編入せらるゝに際しその終に世に忘られむを虞れ町長の請に応じ事業の
経歴を略叙して以て後の資に供ふといふ
      大正七年四月            貴族院議員従二位勲三等子爵伏原宣之題額
                                         京都府紀伊郡長従六位勲六等児玉利節撰
                                                                             出雲路通次郎書
調 査2012年4月20日
備 考

位置図
位置図

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