所在地 | 下京区西新屋敷中之町 |
位置座標 | |
建立年 | 2001年 |
建立者 | 島原伝統保存会 |
寸 法 | 高172×幅105×奥行17cm |
碑 文 | |
| [西] |
| 歌舞練場跡記念碑 |
| 島原歌舞練場は、明治六年(一八七三)上之町に島原女紅場【ふりかな「ニヨコウバ」】として開設され、青柳踊【ふりかな「アオヤギオドリ」】や」 |
| 温習会が上演されていたが、同十四年頃には衰微を極め、青柳踊等も頓挫した。その後景」 |
| 気の回復により、太夫道中が再興され、歌舞練場が常にその巡行の拠点としての役割を果」 |
| していた。しかし、当初の歌舞練場は狭隘にして、かつ貸座敷組合事務所との共用であっ」 |
| たため、昭和二年(一九二七)に中之町の現在地に移転し、本格的な劇場施設として新築」 |
| された。それ以来、この歌舞練場は、歌舞会にあたる養柳会が運営にあたり、歌舞音曲」 |
| の練習発表の場として毎年温習会が開催された。戦後の同二十二年以後は島原貸席お茶」 |
| 屋業組合の事務所としても使用されてきたが、平成八年(一九九六)同組合の解散に伴い、」 |
| 歌舞練場を解体し、歌舞練場百二十余年の歴史を閉じることとなった。」 |
| また天保年間の島原鳥瞰図によると、当地はもと稲荷社が鎮座していたことから、この」 |
| 大榎【ふりかな「オオエノキ」】には、歌舞練場解体時までその根元に祠が祀られていた。約二百年の樹齢を誇るがご」 |
| とく、樹高は十五米幹周りも二米となり、今なお神木としての威厳を留めている。」 |
| ここに記念碑を建立し、花街の象徴であった歌舞練場と古木の由来を刻するもの」 |
| である。 |
| 平成十三年十一月吉日 島原伝統保存会 |
| 宝暦の むかしの夢は見は見つれ 勇 |
| 夜半の投節 聴くよしもなし |
| 吉井勇(歌人 一八八六〜一九六〇) |
調 査 | 2004年12月3日 |
備 考 | |
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