平安京朱雀大路跡

SI057

へいあんきょうすざくおおじあと
石碑(0021101)石碑周辺(0021107)

 平安京の朱雀大路は,朱雀門から羅城門まで,南北に4キロメートルにわたって延びる,平安京のメインストリートである。幅は84メートルほどあり,並木として柳が植えられていた。本来,朱雀大路が都の中心とされていたが,右京域の衰退により中心から外れたため,平安時代を通じて徐々に荒廃・縮小していった。加えて,朱雀門以北の内野(旧大内裏)には道が北進していき,鎌倉時代には「千本通」と呼ばれるようになる。  この地は,昭和50年(1975)に発掘調査が行われ,初めて朱雀大路の痕跡が確認された場所である。

所在地下京区中堂寺坊城町
位置座標北緯34度59分42.7秒/東経135度44分35.1秒(世界測地系)
建立年1975年
建立者京都市
寸 法高68×幅111×奥行97cm
碑 文
[北]
               平安京朱雀大路跡
 朱雀大路は、平安京の朱雀門から南へ羅城門まで、平安京の中心
を南北約4kmにわたって走る主要大路である。
 道路の幅は28丈(約84m)をはかり、両側には溝、犬走、垣
が設けられ、さらに柳の並木がこの大路に色どりを添えていたとい
われる。朱雀大路の両わきには、貴族の邸宅や役所の建物などがた
ちならび、迎賓館としての東、西鴻臚館や天皇家別邸である朱雀院
などもそこに建てられていた。
 この大規模な道路も、平安後期ごろから無用の長物と化して、鎌
倉以後、急速にその機能を失い、荒廃していった。この朱雀大路の
痕跡をとどめるのが、現在の千本通りである。
 現在地は昭和50年夏、秋の発掘調査によって、朱雀大路の一
角が発見された地点である。ここでは、平安京楊梅小路と朱雀大路
の交差点を中心に、朱雀大路東側溝が延長120mにわたって検出さ
れ、はじめて朱雀大路の正確な位置が確認されたのである。
                                    昭和53年9月1日 京都市
調 査2004年12月3日
備 考

位置図
位置図

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