所在地 | 下京区西新屋敷下之町(島原住吉稲荷神社前) |
位置座標 | 北緯34度59分35.4秒/東経135度44分33.9秒(世界測地系) |
建立年 | 1998年 |
建立者 | 島原地区自治協議会 |
寸 法 | 高99×幅122×奥行18cm |
碑 文 | |
| [南] |
| 島原西門碑 |
| 島原は、寛永十八年(一六四一)、官命によってその前身の六条 |
| 三筋町の傾城町が、ここ朱雀野に移されたことに始まる。その移転 |
| 騒動が当時九州で勃発した島原の乱を思わせたところから、一般に |
| 「島原」と呼ばれたが正式地名は、西新屋敷という。島原は江戸期 |
| を通じて公許の花街(歌舞音曲を伴う遊宴の町)として発展してい |
| くが遊宴を事とするにとどまらず和歌俳諧等の文芸活動を盛ん |
| にし、ことに江戸中期には島原俳壇を形成するほどの活況を呈した |
| 島原の入口は当初東の大門のみであったが享保十七年(一七三二) |
| に西側中央部に西門が設けられた。それは両側に門柱を建てた |
| だけの簡略なものであったが天保十三年(一八四二)に現在地に移 |
| され、構えも冠木門に切妻屋根、さらに控柱に小屋根を設ける |
| 高麗門型となった。 |
| 近年まで島原の西門として偉観を伝えていたが昭和五十二年 |
| (一九七七)十一月輪禍によって全壊した。三年後に門柱のみが復元 |
| されたが平成十年(一九九八)四月、再度の輪禍に見舞われ |
| てそれも倒壊した。 |
| よって、ここに碑を建立して、島原西門の由来と往時の形 |
| 容を刻するものである。 |
| 平成十年十二月吉日 島原地区自治協議会 |
| 島原八景の内 |
| 西口菜花 |
| 成章 |
| 花の色は |
| いひこそ知らね |
| 咲きみちて |
| 山寺遠く |
| 匂ふ春風 |
| 成章は富士谷氏 国学者 安永八年(一七七九)没 年四十二 |
調 査 | 2002年2月26日 |
備 考 | |