源融河原院址SI031 |
みなもとのとおるかわらいんあと |
嵯峨天皇皇子左大臣源融(822〜95)は,摂政藤原基経(836〜91)の台頭により,この地に隠棲した。その邸宅は河原院と称され,北は現在の五条通,南は正面通,西は柳馬場通,東は鴨川を範囲とする八町におよぶ広大な敷地をもち,苑池を備えた景勝地として知られる。融没後は宇多上皇(867〜931)の御所となり東六条院とも呼ばれた。この石碑は河原院跡を示すものである。 |
所在地 | 下京区木屋町通五条下る東側 |
位置座標 | 北緯34度59分42.5秒/東経135度46分01.8秒(世界測地系) |
建立年 | 1915年 |
建立者 | 京都市教育会 |
寸 法 | 高115×幅18×奥行18cm |
碑 文 | |
[北西] | |
此附近 源融河原院址 | |
[南東] | |
大正四年十一月建之 京都市教育会 | |
[北東] | |
寄附者 都市町有志拾一名 | |
調 査 | 2002年2月18日 |
備 考 |