菅家邸址

SI028

かんけていあと
石碑(0006147)石碑周辺(0006150)

 菅家(菅原氏)は文章家として朝廷に仕え,多くの学者を輩出した家。菅原道真(854〜903)は,宇多天皇(867〜931)に重用され右大臣まで昇ったが,謀反の嫌疑をかけられ九州大宰府へ左遷され,その地で没した。この石標は,南側の白梅殿(菅家累代の邸宅)に対して,紅梅殿と称される道真邸跡を示すものである。

所在地下京区仏光寺通西洞院東入北側
位置座標北緯35度00分04.7秒/東経135度45分21.2秒(世界測地系)
建立年1938年
建立者京都市教育会
寸 法高122×幅18×奥行17cm
碑 文
[南]
菅家邸址   紅梅殿
[東]
昭和十三年三月建之   京都市教育会
調 査2002年2月13日
備 考

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