菅家邸址SI028 |
かんけていあと |
菅家(菅原氏)は文章家として朝廷に仕え,多くの学者を輩出した家。菅原道真(854〜903)は,宇多天皇(867〜931)に重用され右大臣まで昇ったが,謀反の嫌疑をかけられ九州大宰府へ左遷され,その地で没した。この石標は,南側の白梅殿(菅家累代の邸宅)に対して,紅梅殿と称される道真邸跡を示すものである。 |
所在地 | 下京区仏光寺通西洞院東入北側 |
位置座標 | 北緯35度00分04.7秒/東経135度45分21.2秒(世界測地系) |
建立年 | 1938年 |
建立者 | 京都市教育会 |
寸 法 | 高122×幅18×奥行17cm |
碑 文 | |
[南] | |
菅家邸址 紅梅殿 | |
[東] | |
昭和十三年三月建之 京都市教育会 | |
調 査 | 2002年2月13日 |
備 考 |