長州藩士久坂玄瑞の密議の角屋SI020 |
ちょうしゅうはんしくさかげんずいのみつぎのすみや |
角屋は旧島原の揚屋の一つ。長州藩士久坂玄瑞(1840〜64)は江戸遊学を終えて上洛すると,尊皇攘夷の急進派として朝廷工作など様々な運動を行った。この石標は,玄瑞が尊皇攘夷運動の密議を重ねた角屋を示すものである。 |
所在地 | 下京区西新屋敷揚屋町(角屋前) |
位置座標 | 北緯34度59分32.9秒/東経135度44分35.9秒(世界測地系) |
建立年 | 1984年 |
建立者 | 中川徳右衛門(角屋当主) |
寸 法 | 高143×幅20×奥行20cm |
碑 文 | |
[東] | |
長州藩 | |
久坂玄瑞の密議の角屋 | |
志士 | |
[南] | |
久坂玄瑞は吉田松陰の義弟 松陰刑死後 塾徒を率い 尊攘に挺身 | |
文久政変に山口へ七卿落ちを斡旋するも 元治元甲子年七月 蛤御門の | |
変に遭い 壮烈な死を遂げた 享年二十五 角屋は玄瑞が屡々暗殺 | |
の難を避け 潜行密議した場所である | |
[西] | |
大正四年十一月建之 京都市教育会 | |
[北] | |
昭和五十九甲子年七月再建 | |
表題揮毫 京都府知事林田悠紀夫書 | |
調 査 | 2002年2月13日 |
備 考 | 碑文によれば大正4年に京都市教育会が建立した原碑を再建したように見えるが,維新を語る会会報『鴨の流れ』11号(1988)に掲載する「教育会石碑について 寺井先生と島原角屋当主の対談より」などを参照して,1984年まったくあらたに建立したものだと判断した |