円山応挙宅址SI012 |
まるやまおうきょたくあと |
円山応挙(1733〜95)は丹波国出身の画家。京都の石田幽汀(1721〜86)に入門して,狩野派の画法を学んだ。また,宋元画の技術および西洋画の遠近法を加え,写実を重視した画風を興した。応挙とその後継者は円山派と呼ばれた。この石標は応挙の邸宅跡を示すものである。 |
所在地 | 下京区四条通堺町東入南側 |
位置座標 | 北緯35度00分14.1秒/東経135度45分48.0秒(世界測地系) |
建立年 | 1917年 |
建立者 | 京都市教育会 |
寸 法 | 高114×幅18×奥行18cm |
碑 文 | |
[北] | |
円山応挙宅址 | |
[南] | |
京都日報社 | |
寄附者 大久保作次郎 | |
[東] | |
大正六年三月建之 京都市教育会 | |
調 査 | 2002年2月5日 |
備 考 |