古高俊太郎邸址SI005 |
ふるたかしゅんたろうていあと |
古高俊太郎(1829〜1864)は近江国出身の尊皇攘夷派の志士。湯浅喜右衛門と称し,京都で薪炭商を営み志士らを援助していたが,元治元(1864)年6月5日,新選組に捕えられた。これが池田屋騒動の契機となった。この石標は彼の邸宅跡を示すものである。なお,各種事典では名字を「こたか」と読むものが多い。 |
所在地 | 下京区河原町通四条上る一筋目東入南側 |
位置座標 | 北緯35度00分14.2秒/東経135度46分11.3秒(世界測地系) |
建立年 | 1928年 |
建立者 | 京都市教育会 |
寸 法 | 高114×幅18×奥行18cm |
碑 文 | |
[北] | |
勤王 | |
古高俊太郎邸址 | |
志士 | |
[東] | |
京都市教育会 | |
[南] | |
【未確認】 | |
[西] | |
昭和三年四月 | |
調 査 | 2002年2月5日 |
備 考 |