小林君碑

SA240

おばやしくんのひ
石碑(0029089)石碑周辺(0029090)

 小林祝之助(おばやししゅくのすけ,1892〜1918)は大豊神社(左京区鹿ケ谷宮ノ前町)宮司の長男として生まれた。大正2(1913)年5月4日,伏見の深草練兵場で初めて見た飛行機が着陸に失敗し,操縦士飛行家武石浩玻が死亡したのを目撃し衝撃を受けた。これをきっかけに飛ぶことにあこがれ,操縦を学ぶため,つてを頼って第一次大戦のさなかに渡仏した。その後正式にフランス軍航空兵となりドイツ軍機と戦い,碑文によれば大正7(1918)年6月7日に撃墜され戦死した。この碑は小林祝之助を記念する碑である。
 同年10月28日から11月3日にかけ四条大橋東詰南座で欧州戦線の活動写真が上映されたおり,馬詰俊太郎による小林祝之助戦死実況講演が併催されている(『近代歌舞伎年表 京都篇』7)。

所在地左京区浄土寺真如町(真如堂内)
位置座標北緯35度01分15.0秒/東経135度47分23.0秒(世界測地系)
建立年1925年
建立者小林祝之助君記念事業会
寸 法高190×幅84×奥行20cm
碑   文
[北]
小林君之碑【題額】
元帥川村景明閣下題額
祝之助君は錦林学校出身の士なり剛毅にして果決愛国心
に富む大正四年世界大戦正に酣なるのとき雄志を懐きて
渡欧し翌年五月義勇兵として仏国航空隊に入り次て従軍
せしか屡々重要任務を果し全軍の賞讃を博したりと云ふ
大正七年六月七日クーヴルの上空に独機と戦ひ奮闘中機
体より火を発し壮烈無比の最期を遂く後ち仏国大統領は
クロバドーゲル勲章並感状を厳父忠一君に贈り以て君か
赫々の武勲を表彰したり蓋し君の戦死は日本国民の忠誠
勇武を欧洲の天地に宣示すると共に日仏両国の親善に資
するところ甚大なりしなり同窓隣閭感慨措く能はす茲に
碑を建て其の偉績を録す
大正十四年五月     陸軍少将杉村勇次郎選文並書
[南]
小林祝之助君記念事業会建之
       石匠芳村茂右衛門刻
調 査2012年5月11日
備 考小林祝之助の履歴等については京都新聞の連載記事「岩石と語ろう」の156回「真如堂の小林君之碑」(1999年8月3日付朝刊),あるいは久保田謙次執筆「小林祝之助の生涯 異国の大空に翔けた夢」(立命館史資料センター準備室ウエブサイト www.ritsumei.ac.jp/archivesに掲載)に依拠した


位置図
位置図

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