今井庄治郎君碑 碑文の大意
 今井氏は名は重承,通称は庄治郎という。七代前の祖先が石材商を京都の河原町夷川で始め,松庄と称して代を重ねた。今井氏はかしこい若者に育ち,頼氏の門に学んだ。のち学問をやめて先祖の業を継ぎ,努力を重ね実績を積んだ。
 今井氏は親分肌の性格で,早くから石工の共同組織がないことを嘆き,まず石工共和組という同業者組合を結成しその顧問に就任した。  今井氏の名声は大いにあがり,みなその指導に従った。宮家や官庁からも注文が殺到した。功績は偉大なものがある。
 惜しいことに天は今井氏に五十年の寿命も与えず,明治38年8月30日に没した。享年42。大谷墓地の先祖の墓地に葬った。石工共和組では黒谷に碑を建てて顕彰する次第である。