韓国合併奉告祭碑 碑文の大意
 明治43年9月29日に韓国合併の詔勅が発せられた。そこで山城国愛宕郡三宅八幡神社の神職と同社氏子である高野の住民は神社の祭神に報告する祭礼を行い,記念碑を建てて後世に伝えようと計画し,兼田愛宕郡長を介しわたし(筆者湯本文彦)が碑文を依頼された。
 そもそもわが国と韓国との関係は古く神代に始まる。その後,新羅の王子天日槍(あめのひぼこ)がわが国に帰化し,任那も来朝した。神功皇后が三韓に遠征し日本の勢力を広げたこともあった。その後時代も移り変わり,豊臣秀吉が侵攻し武勇を大いに振るった。
 明治維新以後,わが国は韓国と国交を結び扶助し保護したが,韓国にはさまざまな独立をおびやかす危機がせまり,ついに韓国皇帝は大勢を観て国を日本に合併することを天皇に要請した。天皇はアジアの平和と韓国の安定のためこれを許可した。ここに韓国全土はわが国の一部になったわけである。
 歴史上,国土を拡大し豊かにするには必ず戦争に訴え,多大な犠牲を払ったものである。いま韓国の合併は正義に基づき平和に行われた。実に見事なことではないか。三宅八幡神社は応神天皇を祭神とする。応神天皇は韓国で偉勲をあげた方であり,韓国合併を奉告して祝賀するのは当然のことである。そのためこの碑文を書き石に刻む次第である。たとい石は亡びてもその栄光は万世にわたり不朽である。