重修白幽子墓SA220 |
じゅうしゅうはくゆうしのはか |
白幽子は石川丈山(1583〜1672)弟子の弟で,医道に精通していたと伝える。禅僧白隠(1685〜1768)が疾病を患い苦悩していた折,白幽子を訪ね内観の法を修めて難病を克服したという。架空の人物と思われていたが,吉田神葬墓地で墓石が発見され,宝永6(1709)年に没した人物だということが判明した。白幽子の墓石は明治34年に盗まれ,同36年,富岡鉄斎が同地に再建した。これが現在の墓石である。盗まれた墓石はその後東京で発見され, 白隠に帰依する法輪寺(上京区下ノ下立売通紙屋川畔)の伊山和尚により昭和21年に同寺に移されて現存する。 |
所在地 | 左京区吉田神楽岡町(吉田神葬墓地内) |
位置座標 | 北緯35度01分24.9秒/東経135度47分20.8秒(世界測地系) |
建立年 | 1903年(原碑宝永6年) |
建立者 | 富岡鉄斎 |
寸 法 | 高70×幅26×奥行26cm |
碑 文 | |
[南] | |
松風窟白幽子之墓 | |
[東] | |
白川山居隠士 | |
[西] | |
宝永六己丑初秋廿五日 | |
[北] | |
白幽子墓旧在此所 | |
明治卅四年某月有 | |
竊去之者余恐古蹟亡 | |
滅因謀有志重修之 | |
云 明治卅六年四月 鉄斎外史 | |
調 査 | 2008年1月11日 |
備 考 | 法輪寺に現存する墓石の写真(2003年1月撮影)はここ |
位置図 | |