北白川宮元精米所御殿車

SA159

きたしらかわのみやもとせいまいしょごてんぐるま
石碑(0027372)石碑周辺(0021090)

 北白川宮は,智成親王(1856〜72)が明治3年(1870)12月から用いた称号で,現在の北白川仕伏町に屋敷があった。当時の白川には,水流を利用して精米などをする水車が多く設けられており,北白川宮の屋敷で用いられる米は,この地に設けられた水車で専門に精米されていた。明治5年に北白川宮が東京に移転した後も,この地の水車は「御殿車」と呼ばれ,明治40年ごろまで製粉業などを続けた。この石碑は,「御殿車」と呼ばれた水車の跡を示すものである。

所在地左京区北白川琵琶町
位置座標北緯35度01分54.5秒/東経135度48分02.4秒(世界測地系)
建立年1910年
建立者
寸 法高146×幅30×奥行36cm
碑 文
[北]
北白川宮
              御殿車
元精米所
[南]
明治四十三年八月廿九日
調 査2003年11月4日
備 考

位置図
位置図

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