俊寛僧都故居碑SA055 |
しゅんかんそうづこきょのひ |
後白河上皇(1127〜92)側近の僧である法勝寺執行俊寛(生没年未詳)は,治承元(1177)年6月,自らの山荘で平氏打倒の密議を行い,その首謀として薩摩国鬼界島(現鹿児島県硫黄島)に流された。この石標は,俊寛の居所である法勝寺の跡を示すものである。 |
所在地 | 左京区岡崎法勝寺町(満願寺内) |
位置座標 | 北緯35度00分53.0秒/東経135度47分11.5秒(世界測地系) |
建立年 | 1887年 |
建立者 | (満願寺寺主日輝他) |
寸 法 | 高280×幅120×奥行56cm |
碑 文 | |
[西] | |
俊寛僧都故居之碑 | |
[東] | |
故法勝寺執行俊寛僧都憤 朝権外移謀討平氏 | |
不成流死海島後法勝寺屡羅兵燹独僧都故居一宇 | |
及其阿伽井儼存七百餘年矣蓋僧都忠義有天地鬼 | |
神所感而然也歟故居今属満願寺寺主日輝与其徒 | |
相謀捐貲葺補建碑以伝不朽嗚呼僧都可以瞑矣 | |
明治二十年八月建 正五位谷鉄臣撰并書 | |
碑文の大意 | ここをクリック |
調 査 | 2002年2月21日 |
備 考 |
位置図 | |