水飲対陣跡

SA027

みずのみたいじんのあと
石碑(0006592)石碑周辺(0006594)

 千種忠顕(?〜1336)は,後醍醐天皇(1288〜1339)の信任厚く,建武政権では従三位参議,三カ国の国司に補任された。足利尊氏(1305〜58)の攻略により政権が瓦解すると,忠顕は足利直義(1306〜52)軍と比叡山麓西坂本水飲で戦った。この石標は延元元(1336)年6月7日,千種忠顕が戦死した地を示すものである。

所在地左京区修学院音羽谷
位置座標北緯35度03分19.5秒/東経135度48分47.5秒(世界測地系)
建立年1921年
建立者
寸 法高147×幅53×奥行37cm
碑 文
[北]
水飲対陣之跡
延元元年ノ乱中将忠顕卿官軍ノ将
トシテ四明嶽ヲ防キ給フ賊西坂ノ
三方ヨリ攻寄セタリ官軍水飲ノ地
ニ攻下シ対陣ス翌賊大軍後方ヨリ
襲フ衆寡敵セズ卿水飲ノ地ニ戦死
シ給フヨシ太平記ニ見ユ
   大正十年夏日   掃雲千種顕男誌
調 査2002年2月12日
備 考

位置図
位置図

上へ

[HOME]