白河北殿址

SA017

しらかわきたどのあと
石碑(0009827)石碑周辺(0009829)

 白河北殿は,白河上皇(1053〜1129)の院御所で,南本御所に対して北殿や北新御所と称された。その後は上西門院(1126〜89)の御所となっていたが,保元元(1156)年7月に崇徳上皇(1119〜64)が移り住み,保元の乱の勃発とともに平清盛(1118〜81)らの軍勢によって焼失した。この石標はその御所跡を示すものである。

所在地左京区丸太町通東大路西入南側(京都大学熊野寮内)
位置座標北緯35度01分02.6秒/東経135度46分32.3秒(世界測地系)
建立年1939年
建立者京都市教育会
寸 法高124×幅18×奥行19cm
碑 文
[北]
此附近   白河北殿址
[西]
昭和十四年三月建之   京都市教育会
調 査2002年4月3日
備 考

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