白河北殿址SA017 |
しらかわきたどのあと |
白河北殿は,白河上皇(1053〜1129)の院御所で,南本御所に対して北殿や北新御所と称された。その後は上西門院(1126〜89)の御所となっていたが,保元元(1156)年7月に崇徳上皇(1119〜64)が移り住み,保元の乱の勃発とともに平清盛(1118〜81)らの軍勢によって焼失した。この石標はその御所跡を示すものである。 |
所在地 | 左京区丸太町通東大路西入南側(京都大学熊野寮内) |
位置座標 | 北緯35度01分02.6秒/東経135度46分32.3秒(世界測地系) |
建立年 | 1939年 |
建立者 | 京都市教育会 |
寸 法 | 高124×幅18×奥行19cm |
碑 文 | |
[北] | |
此附近 白河北殿址 | |
[西] | |
昭和十四年三月建之 京都市教育会 | |
調 査 | 2002年4月3日 |
備 考 |