法勝寺九重搭址SA012 |
ほっしょうじくじゅうのとうあと |
院政期,天皇・中宮の発願で岡崎の地に六つの寺院が建立された。いずれも「勝」の字がつくので六勝寺と呼ばれた。法勝寺はその一つ。法勝寺は,白河天皇(1053〜1129)御願寺で「国王の氏寺」と称された。承暦元(1077)年に落慶供養が行われ,方四町の敷地には以後も堂舎が増築された。寺内に建てられた壮麗な八角九重塔は,高さが80メートル以上あったと推定されている。元暦2(1185)年7月以降,九重塔は度々落雷に遭い,そのつど修復,再建が行われたが,14世紀には度重なる火災で焼失した。この石標は法勝寺九重塔跡を示すものである。 |
所在地 | 左京区岡崎法勝寺町(京都市動物園内) |
位置座標 | 北緯35度00分46.0秒/東経135度47分09.8秒(世界測地系) |
建立年 | 1915年 |
建立者 | 京都市教育会 |
寸 法 | 高123×幅18×奥行18cm |
碑 文 | |
[西] | |
法勝寺九重塔址 | |
[東] | |
大正四年十一月建之 京都市教育会 | |
[北] | |
今出川千本 | |
寄附者 田中冨子 | |
調 査 | 2002年2月21日 |
備 考 | 寄附者田中富子(1852〜1924)は千本今出川交叉点西北の田中政呉服店田中政七夫人/田中新史「京都・大正大礼建碑と祖」『土筆』11号(2014年土筆舎刊)参照 |
位置図 | |