法勝寺九重搭址

SA012

ほっしょうじくじゅうのとうあと
石碑(0007272)石碑周辺(0007267)

 院政期,天皇・中宮の発願で岡崎の地に六つの寺院が建立された。いずれも「勝」の字がつくので六勝寺と呼ばれた。法勝寺はその一つ。法勝寺は,白河天皇(1053〜1129)御願寺で「国王の氏寺」と称された。承暦元(1077)年に落慶供養が行われ,方四町の敷地には以後も堂舎が増築された。寺内に建てられた壮麗な八角九重塔は,高さが80メートル以上あったと推定されている。元暦2(1185)年7月以降,九重塔は度々落雷に遭い,そのつど修復,再建が行われたが,14世紀には度重なる火災で焼失した。この石標は法勝寺九重塔跡を示すものである。

所在地左京区岡崎法勝寺町(京都市動物園内)
位置座標北緯35度00分46.0秒/東経135度47分09.8秒(世界測地系)
建立年1915年
建立者京都市教育会
寸 法高123×幅18×奥行18cm
碑 文
[西]
法勝寺九重塔址
[東]
大正四年十一月建之   京都市教育会
[北]
         今出川千本
寄附者         田中冨子
調 査2002年2月21日
備 考寄附者田中富子(1852〜1924)は千本今出川交叉点西北の田中政呉服店田中政七夫人/田中新史「京都・大正大礼建碑と祖」『土筆』11号(2014年土筆舎刊)参照

位置図
位置図

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