会津藩殉難者墓所SA010 |
あいづはんじゅんなんしゃぼしょ |
会津藩主松平容保(1835〜93)が文久2(1862)年京都守護職に任命されると,その本拠地となった黒谷金戒光明寺周辺には,会津藩士が分宿した。この石標は,慶応4(1868)年正月鳥羽・伏見の戦いなど,文久年間以来の会津藩士戦没者の墓所を示すものである。 |
所在地 | 左京区黒谷町(金戒光明寺前) |
位置座標 | 北緯35度01分05.1秒/東経135度47分09.1秒(世界測地系) |
建立年 | 1957年 |
建立者 | 柏村毅 |
寸 法 | 高226×幅48×奥行47cm |
碑 文 | |
[西] | |
会津藩殉難者墓所 | |
[東] | |
昭和三十二年十二月十五日 柏村毅建之 | |
[北] | |
為明治戊辰戦役九十年祭記念 柏村毅建之 | |
調 査 | 2002年2月21日 |
備 考 | 建立者の柏村毅(1898〜1973)は福島県出身,東急電鉄専務や関東バス社長を務めた陸運界の実業家/東面の「柏村毅建之」は文字を埋めて抹消している |
位置図 | |