梅田雲浜先生旧蹟SA007 |
うめだうんぴんせんせいきゅうせき |
梅田雲浜(1815〜59)は若狭小浜藩士。崎門学を学んで大津に湖南塾をひらき,京都の望楠軒の講主に迎えられた。海防策の意見書が藩政批判とみなされ浪人となる。困窮のなか,一乗寺葉山観音堂の堂守小屋に住み,ペリーやプチャーチン来航時には,江戸・水戸・大坂に自ら赴き,尊皇攘夷を唱えた。のち,一橋慶喜(1837〜1913)を擁立して勅許反対を推進し,安政の大獄(1858)で捕えられ獄死した。この石標は一乗寺の寓居跡を示すものである。 |
所在地 | 左京区一乗寺葉山町(葉山観音内) |
位置座標 | 北緯35度02分46.3秒/東経135度47分52.1秒(世界測地系) |
建立年 | 1923年 |
建立者 | |
寸 法 | 高136×幅60×奥行13cm |
碑 文 | |
[西] | |
梅田雲浜先生旧蹟 | |
[東] | |
雲浜翁嘉永三年葉山ニ寓シ勤王諸同志ト | |
国事ヲ議シ或ハ四明山下一閑人石川丈山 | |
ヲ追慕シテ閑ニ風月ヲ弄セリ長岡監物ノ | |
臣某ガ来テ浅見絅斎ノ赤心報国刀ヲ求メ | |
山縣元師ガ謁シテ教ヲ請ヒ翁ノ夫人信子 | |
ガ「拾ふ木葉」ノ名歌ヲ作リシモ皆此時ナリ | |
キ故ニ今有志相謀テ記念碑ヲ建ツ | |
大正十二年十一月廿三日惺軒撰并書 | |
[東面下段] | |
山口長太郎 | |
発 西沢嘉三郎 | |
起 山本丈之助 | |
人 高橋尚蔵 | |
高瀬武次郎 | |
「京都」若州人会 【「 」内双行】 | |
調 査 | 2002年2月13日 |
備 考 |
位置図 | |