所在地 | 左京区一乗寺堀ノ内町 |
位置座標 | 北緯35度02分49.2秒/東経135度47分42.2秒(世界測地系) |
建立年 | 1937年 |
建立者 | 熊谷直之他 |
寸 法 | 高310×幅113×奥行22cm |
碑 文 | |
| [西] |
| 忠成公隠棲之地 |
| 掌典長兼御歌所長公爵三条公輝書(印)(印) |
| [東] |
| 忠成とは明治二年十二月二十七日贈正一位右大臣三条実万公に賜ひし勅諡なり公は藤原氏清華上」 |
| 首の名流を承けて内右臣右近衛大将に昇り忠貞醇厚内紀網を振ひ外朝権を恢められしか嘉永六年」 |
| 米艦来航し国論沸騰して幕府其の途に迷ひし時に方り常に 至尊の重寄を荷ひて匪躬の節を致し」 |
| 尊攘の大義に仗りて時艱を匡済せられむとす然るに幕府当路の忌む所となり安政五年戊午大獄起」 |
| り累の家臣に及ふや公は奏請して十二月二十三日所領の地上津屋村に隠退し明年三月二十七日此」 |
| の地に移居せらる 天皇屡内旨を下して之れを尉め給ひしか五月三日遂に落飾せられぬ八月病あ」 |
| り漸く癒えむとせしを九月二十七日俄に篤く十月三日本邸に帰り同六日薨せらる公幽居の間毎晨」 |
| 盥嗽して宮闕を拝し心を書史に潜めて今古を鑑み懐を諷詠に託して至誠を述へ苟も事あるに遇へ」 |
| は書を令嗣実美公に遣りて之れを勗め通塞の際常に従容としておはしきといふ嗚呼公の志は嗣公」 |
| に大成し勲績彌世に顕ると雖とも其の死生を貫く誠に至りては深く宮禁に蘊まるるものあらむ」 |
| 抑公の斯の地に寓せらるる久しと謂ふへからす然れとも其の一代の献替を実に斯に於いて終りを」 |
| 告けしものにして山容泉声今猶旧を語るかことく仰幕の念止む能はす茲に有志者胥議り遺蹟の遂」 |
| に湮滅せむことを虞れ境域を清め碑を立て令孫公輝公の題字を勒して之を彰し永く後人をして」 |
| 感孚する所あらしめむとす余嘱を受けて其の縁由を叙へ之れを其の陰に記すといふ |
| 昭和十二年十月 出雲路通次郎謹撰并書 |
| 熊谷直之 |
| 建碑寄附者 六鹿清治 |
| 平井仁兵衛 |
| [南] |
| 大森吉五郎 熊谷直之 |
| 唱首 |
| 源田善右衛門 猪熊信男 |
| [北] |
| 吉村小右衛門刻
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調 査 | 2002年2月13日 |
備 考 | |