善行碑 参考 |
善行碑建設縁起 川岡村に仁人あり,中村半四郎氏といふ。氏は天保十年三月三日を以て字川島に生る。人と為り温健沈着,行ひ忠実勤倹。夙に本派本願寺の門徒となり,唱名相続敢て一日も怠ることなし。平生仁心に厚く,力を慈善事業に尽すを以て無上の快楽となす。而も人の嘖々として其善行を称するを屑しとせず。唯だ曰く是れ聊か死後の栄のみと。 氏嚢きに村長中路福太郎,小学校長鈴木岩人の二氏に図るに,校庭の一隅に善行碑建設の事を以てし,且つ曰く吾村には有名なる享保安永年間の孝子儀兵衛氏及び明治卅七八年戦役に忠死せられたる名誉の軍人三氏あり。此の忠臣と此の孝子と,両つながら以て千載の鑑となすに足らん。又た聞く本村立小学校は,既に已に是等善行者死歿の日を記念して,年々其の祭典を挙げ,児童の精神教育上得る所尠ならじと。誠に宜なる哉。之れ予が永久に善行者の記念として本校内に建碑を希望する所以なり。資苟くも村を煩さずと。言々肺腑より出づ。於是村長校長亦た大に此の挙を賛し,直に村会ニ議り其の認諾を経て工事に着手し,終に明治四拾弐年一月二十四日を以て是が建碑式を挙ぐるに至れり。ああ氏も亦た善行碑中の人にあらずや。茲に録して縁起となす。 *川岡小学校蔵「校史」其二(写本,明治44年川岡尋常高等小学校編修)より/京都市歴史資料館調査撮影の写真版を翻字したもので底本のかたかなはひらかなに直し,句読点を整理した |