押見宿祢霊社遺跡碑NI027 |
おしみのすくねれいしゃいせきひ |
『日本書紀』によると,顕宗天皇三年,「月神」に「歌荒樔田」を奉り,押見宿禰がその祠に侍ったとあり,これが月読社の創始とされる。祭神は天月読命(あまのつくよみのみこと)。当初,月読社は大堰川沿いに建てられていたが,水害のため斉衡3年に現在地に移されたという。以後,明治時代まで押見宿禰の子孫である松室氏が代々の禰宜職を継いでいた。そのため,月読社に押見宿禰を祀る社が建てられたものと考えられるが,現在は存しない。この石標は,押見宿祢霊社の跡を示すものである。 |
所在地 | 西京区松室山添町(月読神社内) |
位置座標 | 北緯34度59分48.3秒/東経135度41分11.2秒(世界測地系) |
建立年 | 1967年 |
建立者 | 松室同族会 |
寸 法 | 高91×幅61×奥行10cm |
碑 文 | |
[東] | |
式内大社月読社累代祀官遠祖 | |
押見宿祢霊社遺跡 【以上横書】 | |
日本書紀によれば顕宗天皇の三年歌荒 | |
棟田に月読社が創祀せられ伊岐県主の祖 | |
押見宿祢が祀官となったといふ 宿祢の | |
子孫は世々その職を伝へ伊岐を姓とした | |
が 九世紀に入り水害のため神社を奉じ | |
てこの地に移るや松室氏を称した 一族 | |
栄え十二世紀初めには二条帝の皇后六条 | |
帝の御生母育子を出すに至った 江戸時 | |
代十七分家は男子は非蔵人女子は御局と | |
して宮中に仕へた者が多い維新後時世変 | |
易同族四散するに至つたがこの度血脈を | |
伝ふる者相謀り 曾て押見宿祢を祀る霊 | |
社も存じたこの地に碑を建て 祖宗縁故 | |
の由来を記すものである | |
[西] | |
昭和四十二年十月 | |
松室同族会建之 | |
調 査 | 2003年12月4日 |
備 考 |
位置図 | |