所在地 | 西京区上桂森上町(桂中学校内) |
位置座標 | 北緯34度59分19.4秒/東経135度41分41.5秒(世界測地系) |
建立年 | 2002年 |
建立者 | 京五中同窓会 |
寸 法 | (正碑)高230×幅90×奥行60cm/(副碑)高38×幅70×奥行25cm |
碑 文 | |
| [正碑西] |
| (校章) |
| [正碑東] |
| (「花」の草体) |
| [副碑西] |
| 京都府立京都第五中学校 略史 |
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| 京都府立京都第五中学校は昭和十六年に創立、第一期生を迎え |
| た。翌年夏、一・二年生のための校舎がこの地に完成、他校に教 |
| 室を間借りしていた生徒達が帰集した。 |
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| 時は第二次世界大戦のさ中、資材・人手ともに不足し、講堂は |
| 未完成、履物室などの付属建築物は平土間を板で囲っただけの仮 |
| 設小屋だった。草の生い茂る荒地を生徒らは自ら切り株や石塊を |
| 除き、排水のために桂川から下地用の小石を運んで覆土整地し、 |
| 使用に堪える運動場に仕上げた。 |
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| それも束の間、やがて生徒達は、働き手を軍隊あるいは軍需工 |
| 場に駆り出されて手薄になった農家の手助けに赴くことになる。 |
| 時を同じくして、多くの生徒が陸軍幼年学校や海軍飛行予科練習 |
| 生など、軍隊に志願し、戦禍による数名の犠牲者を出すにいたっ |
| た。昭和十九年、三・四年生は航空機の部品製造工場に動員され、 |
| 学校に残った一・二年生も勉学の傍ら、農作業に駆り出された。 |
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| 昭和二十年四月、動員先の工場が爆撃を受けた為、校舎は床を |
| 剥がされ、旋盤やボール盤などの機械が据えられて臨時工場に変 |
| わってしまった。これにより生じた教室の不足を補うべく粗造の |
| 小屋が建てられ、学舎に充てられた。京五中は工場動員のさ中も、 |
| 勤務の三交代制などを工夫、戦争中一度も授業を放棄したことは |
| なかった。 |
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| こうして八月十五日の終戦を迎え、戦後の学制改革により、 |
| 京五中は昭和二十三年、上桂の地から姿を消すことになる。 |
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| 激動の時代を駆け抜けた京五中の歴史の断片を後世に伝えるた |
| め、記念碑の建立が意義あるものとなることを心から願っている。 |
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| 平成十四年(二〇〇二年)八月吉日 |
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| 京五中同窓会 建立 |
調 査 | 2002年10月8日 |
備 考 | |