一ノ井堰碑

NI003

いちのいぜきひ
石碑(0008817)石碑周辺(0008821)

 葛野大堰は,5世紀頃に秦氏が造ったとされ,場所はこの附近と推定される。一ノ井は,洪水調整や灌漑用として造られた取水口であり,室町時代には松尾・桂・革島等の農業灌漑用水として利用されていた。この石標は一ノ井堰の跡を示すものである。

所在地西京区嵐山西一川町
位置座標北緯35度00分40.1秒/東経135度40分42.8秒(世界測地系)
建立年1980年
建立者一之井堰並通水利組合
寸 法高202×幅100×奥行85cm
碑 文
[北西]
一ノ井堰碑
         京都府知事   林田悠紀夫
秦氏本系帳によれば山城地方の開発につとめた大
豪族秦氏が秦の昭王の事績にならって   当時の日
本にはたぐい稀な葛野大堰をつくったとされている
そしてその築造の時期は五世紀頃と考えられ   その
場所はこの地附近と推定されている   また応永二十
六年(一四一九)に描かれた桂川用水路図には法輪寺橋
のやや下流の右岸に一ノ井と云う名称で用水取入口が
記入されているが   それから見れば現在地がそれと同一
場所であることに間違いない   その当時この樋門は松尾
桂川岡の十ヶ郷の農地灌漑用水路として潤っていた
   昭和五十五年二月建之   一之井堰並通水利組合
調 査2002年2月25日
備 考

位置図
位置図

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